2‐1地元に帰りて愚痴を言う

落語はじじぃばばぁが聞くもの」という先入観が根強い。
これはとても自然なことで、落語というのはそういう構造を持った芸能である。
最近はコントなどにも多く用いられる手法だが、落語を聴いていくと、そこには喜怒哀楽だけに収まらない多くの感情がある。
死ぬほど悔しい経験だとか、引くに引けない思いだとか
年を取りながら、多くの経験を重ねないと意図がくみ取りきるのが難しい。

たとえば
「自分の子どもがかわいくて目に入れても痛くない親の気持ち」を子どものいない僕は、分かったようなフリをすることはできるけれども
実際の親とその気持ちには乖離があるだろうし、
大学生のころ好きだった女の子に「30歳になって、二人とも独身だったら結婚しよう」と言われて、再来月には30歳の誕生日を迎えようとしている僕の気持ちを、他人がピタリと想像するのは難しいはずだ。


3年ほど前から違和感があったが、
ついに先日心と体のバランスが取れなくなって3か月ほど前から休職することになった。
昔から体は強いほうではなかったけど、
メンタル面ではいろいろな耐性はあるほうだと思っていたので、どこか自分には関係のないことだという先入観があった。

中学から付き合いがある友人が何気ないことから電話をくれた。
事を打ち明けると、とても心配してくれて
その日から毎日のように電話をかけてくれるようになった。


昔から「心配される」ことが苦手だ。
そもそも悩みごとにしても、惚気話にしても、昔から人に自分の話をするというのが得意でなくて、
もちろん嬉しさも感じるのだけど、正直くすぐったい部分が多い。

他人のそれを聞く分にはいいのだけど、
“オチのない”話を極力したくないというのと、「どういう顔をして」話していいのかよくわからないのでなんとなく避けてしまうのだ。


一人暮らしの療養はうまくいかない部分も大きくて、実家を頼るようになった。

散歩と読書ばかりの毎日も飽きがきて、
地元に残っている友人に連絡をとって、お酒を飲む約束をした。
中学時代の同級生の女の子で、
女の子の目を見て話せない当時の僕はそんなに話をしたこともなかった。
いまでもごく親しいかと聞かれればそういうわけでもないが、
何かと理由をつけて1年に1度ほど連絡をとってご飯を食べるぐらいの関係性だ。

彼女は、とてもいいやつなのだけれども、僕のことを心配をしたところで毎日連絡をくれるほどには僕に関心がないので、
他愛のない話をしたかっただけの僕にとっては適任であった。

仕事が終わったという連絡をもらってから、店を調べると酒類の提供が終わっている時間だったので、彼女のほうが車を出してくれた。
ファミレスへ向かう車内で「実は」と近況を報告した。
彼女も上京していたが数年前にストレスが原因で会社をやめており、運転をしながら当時を回顧していた。


「まぁお前なんかに心配してほしいわけじゃないけどな。」と僕が斜に構えると
彼女は右手にハンドルを任せて、左手で小さくこちらに中指をたてた。

人のまばらなデニーズで彼女はハンバーグカレーを、僕がミニパフェを食べながら当時の思い出話に花を咲かせた。
話している途中に僕の電話が鳴った。今日も彼が電話をくれているようだ。
「〇〇から電話が来た」と口走ってから気がついた。

このハンバーグカレーを食っているこの女と、電話の彼は
中学を卒業してから、(たぶん)半年ぐらい付き合っていた。

その場で2~3分ほど通話をした。
千葉の一戸建ての新居に遊びに来ないかという内容であった。
奥さんと一緒にボードゲームでもしよう。彼がそう言うと、
僕は「いつでも」と承って電話を切った。
「一緒にいく?」とテーブル越しに冗談めかして僕は言った。

喜怒哀楽のどれでもないような表情で彼女は、はにかんだ。。

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