1-2「寿限無」の功罪

おととい初めてnoteをアップした。
想定していた5倍ほどの閲覧数があったので、昔好きだった女の子に5回続けてフラれた話や、僕のイチモツがなんと8本あるという話はしなくてよかった。危なかったー。

僕と落語

中学・高校と僕はお笑いフリークだった。
歴代のM-1のファイナリストを丸暗記しては、自分にうっとりしていた。

進学して、大学にある唯一のお笑いサークルが「落語研究会」だったので迷わずに所属した。
当時のサークルは僕と同じように漫才コントは好き。落語は別に…な人たちの集まりで、「落語研究会」の看板は掲げていたが漫才とコントが中心のお笑いサークル成分が強かった。
直近の先輩からも落語指導みたいなものがあったわけじゃない。

いっちょまえに歴史は50年ほどあって長かったから、実情を憂いたOBが年齢でいうとちょうど僕の10個上の卒業生の落語家に指導させ始めたのもだいたいこの時期だ。

同期の会員に2名ほどやる気のある奴がいたので、
「落語は面白いと松本人志も言っていたし」ぐらいの気持ちで僕も落語に手を出すことにした。

非常事態が起こる。
1年、2年と落語を聞き続けたが、全くそれが面白くない。ただただ苦痛だった。

理由はいくつかあったのだが、
一番は僕は1分間に10個近くのボケをするお笑いに慣れ親しんでいたし、落語の方はというと10分間ぐらいかけて1つぐらいのボケをすることなどザラであることを知った。

お笑いの拷問のようなものだった。
中学生がかっこつけて飲めないブラックコーヒーを飲んでる様子に似ている。僕は毎日眉間にしわを寄せて落語をすすった。

それでいて、自分でつまらないと思っている落語をコピーして定期的に演じるのだから、客もたまったもんじゃない。
さながら自社製品にめちゃくちゃ不満のある営業のような心持ちだった。

立川志の輔の落語論

 『寿限無』というはなしがある。念のため説明すると
子供に縁起のいい名前を付けようとして、和尚さんへ相談に行った父親が、和尚さんから教えてもらったおめでたい言葉を、並べて子供の名前を130文字ほどの名前にしてしまう。

 この噺はNHKの「にほんこであそぼ」で子どもたちの間にもいっぺんに浸透した。落語家がどこかの学校に呼ばれ、この「寿限無」をやると、子どもが先に完走してしまう。
 志の輔師匠が落語観によると、この寿限無には”功罪”があるという。落語は楽しいものだと小学生まで認識されたのが良い部分。ただ刺激のある笑いがほしい中学生や高校生になると物足りなくなってしまって唾を吐き捨てるのだという。
 大人になってこの「寿限無」について考えると、教養のない親が子供の長寿を願うあまり、よさそうな言葉を全部つなげたら長い名前になってしまったという、行き過ぎた親の愛情の深さそれゆえの必死さに面白みを感じるのが落語の本来の姿なのだという。
その証拠ではないが、少し前のキラキラネームブームを見ると歴史は繰り返すと感じる。

この話を聞いて、ようやく僕も長い間していた勘違いに気が付いた。僕がつまらないと感じていた「長い名前でおもしろーい」というのは寿限無という噺の側面にしかすぎない。

”お笑い”というジャンルは進化していて口をあけているだけでおいしいものだけど、落語の場合はそうとは限らない。
落語というのも坊さんが教えを説く際に、オチをつけたものだと言われている。側面にばかり気をとられてメッセージを見落としていたことに気がつかされた。
二十歳の冬のことであった。

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