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シャドウを通して知る自分

シャドウの勉強会。どこかで行われていたもの。その中で大きく自分が変わったなぁと思うのでリフレクションせずに残してみる。

シャドウとは

定義はないらしい。色々なものに「シャドウ」という名前がついている。例えば、抑圧された無意識、切り離された自分の一部など。僕がしっくりきたのは、「切り離された自分の一部」であるのでこれを定義として以降考えてみる。

▼4種類のシャドウ
・生存のためのシャドウ
 生きるために受け入れられなかった自分
・所属のためのシャドウ
 居場所を確保するためにその居場所の慣習に合わなかった自分
・ゴールデンシャドウ
 自己認識の外にある、まだ発揮されていない自分
・見えないシャドウ
 自己認識できない自分

勉強会に参加前と参加後のイメージ

参加前
▼シャドウの存在
シャドウとは、痛み麻痺を自分に与えるもの。
痛みは自分の本当の願いが何であるかを教えてくれるため、
麻痺は自分を守るために。

▼シャドウとの関係
シャドウは自分自身を写す鏡。仲良くしたいけど仲良くする方法がわからないツンデレなやつ。その存在を認識し始めている。僕も仲良くなりたいと思っている。

参加後
▼シャドウの存在
シャドウは、自分の本来の姿の一部。何か刺激を与えるものではなくて、ないことによって痛みや麻痺という刺激が生まれていた。

▼シャドウとの関係
見えているものもあれば、見えないものもある。仲良くしたいと思っていたが、仲良くなることは必ずしもいいことばかりではなかった。つまり、少しは仲良くなれた(自分に戻ってきた)。

これから

ゴールデンシャドウという、まだ発揮されていない自分を取り戻しにいきたい。そのためには丁寧な自己対話自己整調。感じて話して感じてを繰り返す。
また、他者との関わりの中で気づくものも大きいのがシャドウ。僕は人が好きだし、ここ何ヶ月間で人が与えてくれたものが多い。だから人と関わることをやめない。
さらには地に足つけた自己研鑽を怠ってはならないと思う。この辺りは結局行動でしかない。わかりやすく結果を残す必要がある。そして、成功と失敗を多く経験する。

人間はすごい。最後にはそれしか言葉にできなかった。

2021.2.18.23:03.シャドウ勉強会を終えて

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