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多様性が多様性を破壊する罠

多様性という言葉が叫ばれて結構な年数がたっていると思いますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか?
人によっては人に決められて生きていきたいから多様性なんてくそくらえと思っている人もいれば、逆に生きやすくて最高と思っている人もいるでしょう。

そして、タイトルを否定するようで申し訳ないんですが、日本の多様化は意外といいんじゃないかなと思います。多様化を尊重するけど人の多様性をそこまで触れないという、ある種の日本的感覚がバランスよく多様化を成功させているような気がします。
もちろん、日本は日本で問題点はありますが、相対的に見て成功しているようと感じます。

ですが逆に多様化によっておかしくなった出来事もあったわけです。
例えばフランスなんかがそうですね。
ここでは結構ぼかして説明しますが、過激な思想によってフランス人の命がおびやかされてしまったことがありました。
当初フランス人は(一説には)長くフランスに住めば多様性のすばらしさをわかってくれるだろうと思い、多くの移民などを受け入れたそうなんですが、結果として多様性は増えましたが衝突が起こるようになりました。
あれを認めろ、これを認めろ、といったように争ったりしてしまうことが多くなってしまったんですね。
このせいで多様性がぎくしゃくしてしまったんですが、実は多様性にはほかにもちょっと違った視点で問題点があると指摘しています。
それが個人主義による出生率低下です。

当たり前ではありますが、日本人口を増やそうと思った場合、最低でも1組当たり二人子供を産む必要があります。
この子供を産むという行為をする場合、結婚という行為を(基本的には)必要とするんですが、結婚する場合、二人の価値観が合わなければいけません。
しかし個人主義となってしまった場合、この価値観のすり合わせが異常に難しくなってしまうわけです。
水と油というほどではありませんが、まじりあうことが難しい。
これによって出生率が下がっているのではないかと推測しています。

ですが、個人主義ではない多様性を持った人たちはどうでしょう?
例えば宗教、宗教というものは同一のもの(偶像など)を信仰しているため価値観の近い人が集まりやすくなります。
価値観が近いと必然的に結婚する確率が高くなり、その宗教の出生率は高くなります。
となると、多様性と称してある宗教の人たちを移民として受け入れた場合、移民の人口が増え続け、逆に個人主義の人口が減り続けるというとんでもない事態が起こってしまいます。厳密にはすでに起こっています。

このまま時代が進んでいけばどこかで個人主義思想が少数派となり、宗教などの同一思想派の勢力が強くなってしまう可能性があるため、果たして多様性は正しいのか、どこまでの多様化を受け入れるべきかは今後考えていく必要があるかもしれません。


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