見出し画像

覚悟の養成方法

僕は本を読みたいと思うと図書館に行く人間なので、あまり書店に行くことはない。でもこう、年の瀬となると帰省したり、大学図書館も冬季休暇にはいったりなどして(期限延長は嬉しいが)書店に行かざるを得なくなる。こうして時たまに書店に入ると、最近ではよく「教養としての〜」だったり「〜のマインドセット」のような表題が目に付く。

しかもそこに店員さんお手製の仰々しいポップなんかが付いちゃったりしているのを見ると、なんだかなあ、という心持ちになってしまう。

その人の生き方なり、教養なり、自説なり、いわば人生の覚悟、のようなものはいろいろな経験をコツコツと積み重ねて漸進的に身に付く、というのが僕の自説である。もちろん他人の書くことや言うことを真似ることこそが全ての最初の入り口ではあると思うけど、含蓄のある「自分」を持つには、それはもう「自分を生きる」ことに終始すると思う。

イェガーとシナプスとコーヒーと

実際、僕は「食後には1ショットのキンキンに冷えたイェガー・マイスターと濃いめのブラック・コーヒー、これこそが至高である」という強い確信をーとはいってもここ2年くらいではあるがー持っている。これはまあ、役には立たないか。


***

大学一年生の春休みに、えいやと思ってアゼルバイジャンという国に2ヶ月ほど滞在していたことがある。

「アゼルバイジャンに行ったことがあります」というと、それはどこなのか、と必ず聞かれる。僕はものごとを人に説明するのが大好きな説明厨であり、かつ極度の地図(地理)オタクなので、場所について聞かれるとうきうきしてせっせと説明してしまう。えーと、カスピ海と黒海のあいだにコーカサス地方というのがありまして、そこにはこうこうこういう国があって、あ、黒海とカスピ海をご存知でないですか、黒海というのはですね、なんて感じに延々とジェスチャーを交えて、時には紙ナプキンに地図を書いたりなんかして説明する羽目になる。

まあ、僕が勝手に説明しているだけなんで、相手からしたらちょっと良い迷惑かもしれないんですが。

バクーの浅草みたいなところ。İçərişəhər駅

まあ、いいや。アゼルバイジャンの地下鉄の話をしよう。ご存知の通りアゼルバイジャンは旧社会主義国家であって、1991年に独立するまでソビエト連邦の一部をなしていた国である。旧ソ連国家にももちろん地下鉄はあるのだが、なんせ地下につながるエスカレータが驚くほど長い。本当に気が遠くなるほど長い。永田町駅で半蔵門線のホームに下るエスカレータも長いが、その比ではないのだ。なにしろ冷戦中に建設されたもので核シェルターとしての役割も担っていたということで、日本のエスカレータの二倍くらいの速度で降りているにもかかわらず5分くらい乗っている羽目になる。

最初こそ怖気付いていたが、日本に帰るころくらいにはこの特急エスカレータが好きになっていた。エスカレータが地上と地下を大きく分断し、かつ繋ぎ合わせるものとして存在しているという実感を噛み締めながら、「そうだ、こうでなきゃ、地下鉄というのはもっと現実離れしたものでないと」と一人で納得していたものだ。

長すぎて座っちゃう友達。キマってる


それに対して、東京の地下鉄ってつまらないですよね。地下鉄があまりに地上すぎる。(大手町らへんは置いといて)地下鉄はあくまで輸送手段であって、僕の覚悟を養成するために存在しているのではないと言われたらどうしようもありませんが、物理的にも概念としても「深み」がなさすぎる。

結局、世の中には2種類の人間しかいない。旧社会主義圏の地下鉄に乗ったことがある人間と、そうでない人間。その二者の間では、地下という概念に対する認識鮮度だったり、高速エスカレータに対する覚悟の度合いがほんの少しばかり違うはずだ。


まあそれはそれとして、あのギトギトしたトルコ系の料理(アゼリ料理含む)がしんどく感じ始めると、大人になったんだなあと感じますよね。


===

白青研究所(siroao institute)

今年からnoteにいろいろと書き付け始めたんですが、なんとか細々と描き続けられたのは、読んでるよ、と時々声をかけてくれるみなさんのおかげでした。皆様も良いお年をお迎えください。

それにしても、年の瀬の空気感っていいですよね。いつもの「お疲れ〜」みたいな別れ方ではなくて、「良いお年を!」と清々しく手を振れるこの時期。来年も楽しくなる気がしますよね。

- YouTube

- instagram



この記事が参加している募集

振り返りnote

読んでくれてありがとう!サポート頂ければ感謝感涙ですが、この記事を友達にシェアしてもらえる方が、ぶっちゃけ嬉しいかも。また読んでください!Cheers✌️