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早稲田で「何者か」になりたい貴方への、最高な授業たち

あなたにはいわゆる「ビジョン」なり「ライフ・ゴール」的なものがありますか?そんな仰々しいものは僕にはないです、すいません。

でも、僕は大学に入学するというときにあたって、ひとつの「ビジョン」を持っていた。それは四年後の2022年に大学を卒業するタイミングで、「何者か」になっている、なってなければならない、という「ビジョン」である。

それは当時、僕が大学を卒業する暁には、市井の大学四年生とは全く違う人間になっているという確信があったからだ。一年早く大学生になった高校の同級生たちは大人ぶって「大学なんてつまらない」と口をそろえて言っていた。サークルの先輩は「もっと遊べばよかった」と嘆いた。OBの社会人は「勉強しておけばよかった」「留学に行っておけばよかった」とタバコをふかしながら僕に洩らした。そんな人々の言葉を反面教師にして、僕は全く違う種類の大学生になると信じてやまなかった。だってこんなにも意識が高くて、理想に燃えていて、世界へ視野を広げんとする19歳が大学で4年間を過ごすのだから、それはもう素晴らしい、完璧で、尊敬されるべき「何者か」になっているに違いない。


だが、10年間とも思える長い長い大学生活を終えてみると、僕は何者にもなっていなかった。

サラリーマンにならなければ、コンサルタントにならなければ、優等生にならなければ、起業家にならなければ、商社マンにならなければ、外交官にならなければ、そもそも社会人にもならなかった。選択肢として考えうるような、明確でわかりやすい「何者」にはどれひとつ当てはまっていない。

そういう意味では僕の当初の「ビジョン」は叶えられなかったかもしれない。そもそもそんな「ビジョン」自体が浅はかで馬鹿馬鹿しいじゃないか、とあなたは思うかもしれない。今になっては僕もそう思う。浅はかで馬鹿馬鹿しい。なにしろ生意気盛りなので、そういう反面教師インスパイアドであまのじゃくな態度をとっていたのだ。それでも、僕は4年前、そんなことは全然浅はかだとは思っていなかったし、馬鹿馬鹿しいとも思っていなかった。


ただ、この「何者」性を獲得しなかった(できなかった)4年間について何か後悔があるかというと、特にない。絶対にない。

結局のところ僕はというと、100%の時間を自分自身の、その時々の好奇心を満たすためだけに注ぎ込んできた。たくさんの素晴らしい(つまらない)先生に出会ったし、浴びるように本を読んだ。息をするように旅をしたし、不安になるほど全力で遊んだ。すべてを自分のコントロールできることに集中し続けた。自分でコントロールできない必修は(なんとか)上手くこなしたつもりだし、未来がどうなるかなんてそもそも興味もなかった。

そして今では心の隅で、「何者にもならないぞ」と強く思っている。つまり、僕が四年前に勝手に提出した「大学生は卒業時に何者かにならなければならない」なるテーゼを、どこかのタイミングで、まるで中華屋で最後に飲み干すたまごスープのようにさっぱりと置いてきてしまったのだ。

ほんと、自分自身のことなんて何も信用できませんよね。


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僕は大阪の人間だ。もちろん生まれは北九州市という成人式で有名(悪名高い)場所であり、両親も九州の人間であったため、家庭では大阪人的アイデンティティの刷り込みが起こることはなかった。

それでも、大阪における急進的ナショナリズムのようなアイデンティティ形成は否が応でも行われるのだ。お好み焼きはモダン焼、集合場所はビッグマン前、ダシは薄め、マクドナルドはマクド、テーマパークはユニバの世界線だ。大阪人性は後天的に習得可能なのである。

中でも、今でも非常に強く僕自身の人格に結びついているのが、勘定的になるということーつまり、ケチであるということだ。


先日、僕が4年間の早稲田大学での大学生活の最後の授業が終わった。後天的大阪人である僕は学費に対する単位についても詳に、時に狂気的にケチであったため、一人で勝手に「未回収の学費」問題の最終解決に取り組んでいた。

要は、無駄に大学に行きまくっていたし、テキトーに講義に入り込んでいたし、成績非算出で受講しまくってたりもした。決して勉学に燃えているのではなく、ただ自身の後天的大阪人性に抗えず、半ば事務的に大学に通っていた。

上で言ったように、たくさんのつまらない講義に出会ってしまったこともあったし、これまでの人生観を打ち砕かれるようなパラダイムシフト的講義に感銘を受けたこともある。それも全部含めて、数講義を取り上げたい。


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環境イシュー(深く読み解く・再編集する)

グローバル・エデュケーション・センター 
友成先生・久保先生

環境学のゆかいな先生二人が最初の一回だけ授業をし、あとは全部自由。勝手にグループ組んでみんなでコオロギクッキー作ったり、大学内を散歩したり、ウミガメやタガメを食べに行ったりで何でもあり。一番受講者層が多様なクラスだった。いかに自分のコミュニティが特異で閉鎖的であるという当たり前である事実を再確認できる場としても、週一回ただただ学校に行って馴染みの誰かと話すという初期の大学生活を懐かしむ場所としても好きだった。ちなみに、この授業がきっかけで小笠原に行く羽目になりました。カメ漁師と繋がる授業ってあんまりないのかな?そんな気はする。


開発経済論

法学部 
谷村先生

アジア、特に近現代中国をテーマに、開発という学問の変遷とその功罪を辿り、未来へ問いかける授業。先生は物腰柔らかなのに、与えてくれる視点が鮮やかすぎて引き込まれる講義だった。少人数制の授業でいつも授業後に先生といろんな議論をする時間があって、8号館で知的な営みができた数少ない時間だった。


ヨット

グローバル・エデュケーション・センター

この夏休みの5日間、ひたすら東京湾でヨットで遊び尽くすという伝説の授業については、受講後の興奮冷めやらぬなか以下の記事を書きつけているので、こちらをご参照いただきたい。授業で、夏期講習でヨットを勉強できるというところも、早稲田ヨット部の超一流選手から手ほどきを受けられるのも、大学所有のクソデカクルーザーに乗れるのも、全部合わせてこれぞ早稲田でしか学べない、取れない授業だと思う。最高です。


ジャーナリズム演習(ベーシック・アドバンスト)

グローバル・エデュケーション・センター 
野中先生

全ての点がここで繋がった。

僕は4年間の大学生活のまとめのような形で、最終学年で野中先生に出会えたことは本当に幸運だったと心から思っている。ジャーナリズムを学問として学んだり、いかに記事を書くかのハウツーではなく、ジャーナリスト的な価値観・倫理観・生き方を養成する講義。毎週どこかの曜日で二コマ連続であり、ただひたすらに議論をする。(本来であれば沖縄研修や中国研修、被災地研修などのフィールドベースらしい)

スウェーデンから帰国して以降、なかなか骨のある議論をできるコミュニティがなく悶々としていた中、理想に燃え、不条理に葛藤し、それでもジャーナリストとして生きていかんとする同世代の尊敬できる早稲田生と巡り会えたことも非常に僕にとっては大きかった。

でも何より、野中先生のことを書き尽くすことはできない。固定観念に囚われず、どんな意見や批判を受け入れる素地がありながらも、気概のある、誰にも媚びない姿に、いつも圧倒されていた。「歳をとるのもきっと悪くないんだろうな」といつも思わされた。


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早稲田という大学の、街の、文化圏の真髄に触れるには、僕も、そしておそらく貴方も、いささか若すぎる。
そのことだけははっきりとしている。

それでも、早稲田で浴びるように得たーもしくは不可避的にこなしたー数々の90分間は、僕の何者性に対する根拠なきモメンタムを打ち砕く一助であった事実を否定することはできない。
そのことも、きっとはっきりとしている。


さて、僕は主題にある「何者かになりたい貴方」に、適切な進言をできているのだろうか。


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白青研究所(siroao institute)

紹介文が納得いかず本文には書いてないんですけれども、『開発と環境の経済学(政治経済学部 高橋先生)』と『人間の安全保障論(社会科学部 利根川先生)』はいずれも最高に熱い授業でした。またあの知的ワクワクを感じたいなあ。

それにしても、「未回収のイタリア」なり、「カノッサの屈辱」なり、世界史を編纂する仕事って楽しいでしょうね。「錦糸町の誓い」とかあってもよさそうですけど。

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