見出し画像

「書く」ということ

「手帳やノートに書くこと」は本当に好きな事で、これから先も続けていくでしょう。ふと疑問に思ったのは、子供の頃の私は、ノートに「書く」ことが好きな子供だったのかな?ということ。多分、好きだったんだと思うけれど、ノートにどんなことを書き綴っていたのかは全く覚えていないのです。強烈なエピソードだけ、思い出として残っているのですが、それ以外は全く……

年末、田舎のおじいちゃんおばあちゃんのところに行くときは、「なかよし」や「りぼん」のマンガの付録についていたノートを必ず持参していました。そう、いつだったかの年末特別号か何かの付録がとても豪華で(笑)特に、ノートはかわいい絵柄ものでワクワクしながら使っていた記憶です。

このノートに何を書いたのかというと、冬休みの日記のようなもの。
例えば、子供の非日常といえば「新幹線」。私がはっきりと覚えているのは、当時の新幹線、乗った駅から降りる駅までの間、止まった駅の駅名をノートに書いたり、○○駅から△△駅に到着するまでの風景の変化などを必死にメモしていた記憶です。トンネル入ったとか、雨が降ってきた、晴れた、みたいな、子供だからそういう簡単で単純なことを一言で書いていました。

そのノートはおじいちゃん家に着いてからも、どんな時も常にえんぴつとノートを肌身離さず持っていて、何かあればメモをしていました。

大事にしていたノートを、掘りごたつでテレビを見ている時に、誤ってその中に落としてしまったのです。ノートが無くなったことに気が付いて慌てて探していたところ、掘りごたつの中に落ちているのを見つけました。ノートの一部が燃えて焦げてしまった衝撃と、悲しかった記憶があります。

このノートは、角っこが焦げてボロボロになっていたし、焦げ臭くて使い続けられるものではないから、この後に捨てたのだと思う。雑誌の付録とはいえ、気に入って使っていたので、それを手放さなくてはならないという現実を受け止めなくてはならないという事は、当時小学生だった私にとって辛かったと思います。

とにかく今思うことは、火事にならなくてよかったということだけです。

この後、かわいい文房具を取り扱うお店で、気に入った絵柄のノートを買い、学校や家であった出来事というような「当たり前の日常」を、そこに書き綴っていたのだろうと思います。
だけど、この『掘りごたつ事件』以来、私は家や自室の机で、ノートに何かを書いていたという記憶がないのです。でも、それはきっと「ノートに書く」が既に習慣化されていたから覚えていないのかもしれない。

そうだ、きっと「日記を書く」ということだったはず。好きなノートにめいっぱい日常を書いて、使い終わったら次のノートを買っていたのだろうな。なんだ、今やってることを子供の頃からずっと続けていたんだ、という事に、この文章を書きながら気が付きました。

お気に入りのノートに、何かを「書く」こと。何てことのない日常の一コマや、ただの走り書きなど、その時の気持ちを書き残すこと、情景を記録すること……「何か」を書き、残すということ。子供の頃に抱いた興味は、今も変わらずに続けていることに改めて気が付いた敬老の日の雨の朝。

そしてそういう文章を、好きに書いて綴った文章を、インターネットを使って世界に発信できているという、本を出したいと夢見ていた中高生の頃からすると考えられないくらいに素晴らしい時代なのだなと思う。

きっと「書くこと」「表現すること」は、私が一生かけて向き合うことなのかもしれない。好きだから、純粋に続けたいと思うから。どんなことがあってもきっとこれは一生続いていくのだろうと感じました。

写真はいつかの美味しかったカフェラテと、いつもそばにノートとペンを。


☆よろしかったら、こちらも☆
HP https://www.sirius-miyuki.com
Facebook https://www.facebook.com/siriusmiyuki
twitter https://twitter.com/sirius_miyuki
BASE(ベイス)天然石ブレスレット製作販売 https://siriusmiyuki.theshop.jp/

いただいたサポートは、文章を書く時の「お供」。おいしいコーヒーの一部に使わせていただきます^^