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本当に必要な物とは?

とてもお気に入りだった家の引越し。

“築50年ほどの団地+4階=エレベーターなし”
本当は分譲で売り出されていたフルリノベーション部屋だったが、売れなかったために賃貸となった部屋なのでめちゃくちゃ綺麗だった。
昔ながらの外観で、耳をすませばを思い出し、必死に坂の上に佇む4階へ登り切ると我が家。
その頑張ったご褒美とばかりにみなとみらいと街が一望できる。
夕方や朝日はみもので、とっても素敵な時間なのだ。(夏には花火も部屋からみえる!)
古くからある団地のため、ご近所には「まだまだ元気よ!」と声かけてくれる90歳というおばあちゃんだったり、おじいちゃんだったりりが多い。平和だ。。

この部屋で、私たち夫婦は家のありがたみを学んだ。
夫は外に出たい人だったため、家は寝れたら良いという感覚がどこかにあり、前の家は私の一人暮らしものをそのまま持ってきたような家だった。こちらに来て、コロナという期間も経たことで、夫は、居心地の良い家とは?ということを追求し始め、もともと好きだった家具作りに勤しみ、こつこつと理想の家へと近づけていった。

そうすると家は段々となじみ、落ち着き、ずっといたい家になった。そのままここを購入してもいいのではないか、という話にもなったが、いろんなことがあり、引越す流れとなった。

私たちは、惜しみながら引越し準備をしていた。
諸事情により、引越しは2回に分けて行うこととなり、(2回の間には、5日間ほどの空きがあった)1回目はダンボールに詰めたもの全て運び出すこととなった。2回目までの期間をしのげるよう、少しの衣類と、少しの食料とを残して、あとの細々しているもの全て箱へ詰めた。

その中にもいらない物は、箱詰めした量と同じくらいあり、ゴミ袋はとんでもない量になった。

スマートに暮らしていたつもりでも、とんでもなく無駄なものがあることに、すこし困惑した。どのようにゴミに出すのが正解なのかを調べながら仕分けしたため、これまた時間がかかる。

これからは、無駄な物を買いそうになったら、どうやって捨てるのか、まで考えてから購入しよう。(そうしたら欲がおさまるかも、)


そしてようやく、1回目の引越しがあり、部屋に溢れかえっていたダンボールが全てなくなった。(業者さんが素晴らしくはやくておったまげ、思わずずっと感動していた。)

大きな家具はまだあるため、引越し準備をする前の部屋に元通りという感じなのだが、中身がない、カーペットがないため、声が響きまくる。

あとは数日間、掃除でもして2回目を待つというところなのだが、束の間のほっとできる時間のため、夜は2人で映画三昧をした。まだ、テレビもスピーカーもソファーもあるのでシアタールーム並みの臨場感でいいぞ!と思って数日が経った。

おや、待てよ?
と違和感に気づき、考えてみた。

なんの不自由もなく、この数日間過ごしている。
もっと、あー、あれはもう送ってしまったよ、があるかと思ったのに、なんだか心が清々しく、なんなら何もない家に安心している。

仕事できるように、ノートPCとiPad、暇な時に読めるようの一冊の本、最低限の化粧品類、数日の衣類、キッチン用品は捨ててしまうもののみ残した。
テレビ、ソファー、スピーカー4つ、ベッド、ダイニングテーブル、スタンドライト、大きなお気に入りの写真額、、書き出せてしまう量。

あんなにゴミの量をみて、げんなりしたのに、先に送っている段ボールに積み込まれたものたちはいかに、、、、。

ないなら無いでなんとかなるものは、大切なものなのだろうか。

究極の生活をしてみて、物の価値をいろいろと考えた。
ステキな思い出の品もあるし、いただきものや、自分の大切にしていたものもある。
捨ててはいない、あちらにはある、という安心感からなのかは謎だけれど。

とても不思議で、ミニマリストさんの何もない部屋みたいな暮らしができる人の気持ちもわかった。


新しく次に進むときには、惜しむ気持ちより、さっぱりした気持ちが大切なんだろうか。

とりあえず、年末に大怪我をした夫がいたらいっか、と今日もまた掃除をして、次の生活の想像をしてみよう。

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