侍う男ファルコに学ぶ

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北斗の拳に金色のファルコというキャラクターがいる。

元斗皇拳の使い手でラオウに匹敵する実力がありながら、ラオウに自らの足を切断して差し出し、故郷の村の民の命を守った。

その際、ラオウから災いの元になるから乳兄弟ジャコウを始末すべきだと忠告されながら、母の嘆願によって殺せなかった。

そのジャコウが天帝ルイを幽閉して実権を握ってやりたい放題しても、彼女への忠義心から、理不尽な仕打ちにも関わらず仕え続け、挙句ケンシロウと死闘を繰り広げ瀕死の重傷を負いながらも、天帝を救うことだけを考え、最後は修羅の国で最期を迎えた。

そんな無私で優しい男、ファルコ。

なんだか書きながら泣けてきた笑。やっぱ男子たるもの北斗の拳は必読の漫画だよね。


異民族出身でありながらローマ人以上にローマ的であろうとしたローマ帝国末期の名将スティリコみたいなキャラクターを彷彿とさせる。

それと同時に能力がありながらも、それを鼻にかけることなく、主人や大切なもののためにクソ野郎にこき使われても真摯に仕える様は侍をも感じさせる。

大切なもののために仕えるということ。

大義のために自らに足かせを掛ける様は尊ささえ感じさせる。

この大切なもののために服するという主体性こそが侍と奴隷の違いなのだろう。

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この国で民間警備はサービス業とされる。

サービスの語源を紐解くと主人に仕える奴隷とある。

この仕える行為が奴隷のままなのか侍に変わるのかは一重に主体性の有無にかかっていると思う。

自社の企業理念は本物の警備の提供によって社会における警備業のあり方を変えるというもの。

当然、そこには法と社会の安全・安心のために主体的に仕えることが前提としてある。

自分も警備業に携わる者として、顧客に対するサービスを通して地域社会の安全・安心に主体的に仕える侍の集う会社にしていきたい。

それが社会における警備のあり方を変えるという企業理念にも沿うから。

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