みんな1人の“仔”

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天童荒太著「永遠の仔」を読んだ。

学生時代、確か中谷美紀・椎名桔平・渡部篤郎主演でドラマ化されていたことは覚えているが、当時の自分にはディープに思えたことを覚えている。

それと同様、原作もディープだった。

なんと表現したらいいのだろう。というか安易に表現するのも憚られる程に深い作品だった。

印象的だったのは、友人の結婚がてら上京した退院後の育ての親である叔父夫妻に対し、梁平が横浜を案内した後に「あなたたちのように生きたかった…似たかったよ…本当に似たかったですよ」というシーン。

このシーンを読んだ時に不思議とこの叔父夫妻と自分の両親に見えたこともあり、恥ずかしながら涙してしまった。

生き地獄に苦しむ梁平に今の仕事をするまで身勝手に生きてきた自分を合わせるのはものすごく失礼だし、感じる文脈も違うと思うが、ある程度人生経験を経た後に、素朴で地に足のついた優しい人に対し頭の下がる思いになる気持ちはなんとなく分かる。

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今もニュースや新聞の社会面をみれば、親による育児放棄や児童虐待が問題になっている。

身勝手な理由はもちろん論外だが、育児放棄や虐待をする親や義理の親にもそうさせるだけのいろんな事情があるのかもしれない。

でも、どんな理由であれ、そんなことをされた子供達は一生消えない傷を負う。

その自覚がない自由とわがままを混同した無責任な大人というか大きな子供がそれだけ世の中に増えているということだと思う。

近い将来、自分も子供を持つことになるかもしれない。

その時には、へんに自分の願望や日頃のストレスを押し付けたり、ネグレクトに走ったりして、子供の人格を無視することだけはやるべきでないと思った。

別に優秀じゃなくても、たくましくなくてもいい。

人としての思いやりを失わずに、大切なことは人に頼ってでも最後は自分で決められる人間に育ってくれればそれでいいと思う。

そのためには、子供の人格を尊重することなんだと思う。

それはウチの親父が大切にしてきた価値観で、それによって育てられた自分も大切にしているもの。

でも、それは自分は自分、子供は子供。だから彼らが何しようが知ったことじゃないみたいな放任主義とも違う。

大半の人は、この小説の作者が子を仔と書いているように人が人である以上、肉体の温もりを求める承認欲求はどうしても否定できない。

子供のそういった欲求を認めてあげながら、あくまで立派な1人の人格を持った存在としてみる。

人の間と書いて人間とよぶのはそういうことだと思う。

それをするにはコミュニケーションをとることが基本になると思う。

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それは仕事でも同じ。

自分は少し違うと思うのだけど、従業員は家族だという経営者の方も少なくない。

確かに従業員を雇うということは金銭面で彼らの生活を支えるのみならず、時には人生相談にものったりする場面もある。

なのでそうおっしゃる方の気持ちも少しは分かる。

でも、その思いが強すぎて自分の価値観を一方的に従業員に押し付けるのは、人格軽視であり、一種の虐待だと思う。

あくまで従業員には従業員の人生がある。

彼らが生き生きと職場で働けるよう、へんに彼らの人生に介入しない。
でも、できる限り、彼らの承認欲求が満たされるようなメンタルケアができる環境を作っていければ、と思う。


特に自社の属する警備業界には、過去にいろんな過ちを犯したり、そうじゃなくてもやむにやまれぬ事情で人生のレールから外れてしまった、そんなワケありの方々が多い。

彼らは傷ついている。だからせめてへんな押し付けはせず、彼らの気持ちに配慮した環境を作ることが、大切になるのだと思う。

でも1人現場が多く、そうじゃなくてもいろんな現場に派遣される場合の多い職務の性質上、孤立して。気持ちが荒んでいきやすい。

自分が月1の各種ミーティングを重視するのはそのためである。

上司部下だけでなく、隊員同士でコミュニケーションをとって頻繁になりすぎない程度に意見交換し合うことは、業務の質の向上のみならず、彼らのメンタルケアにもなると思う。

今後も続いていきたい。

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