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狭き門の門番、その正義

私は普段、ロボットを作る教室の先生をしています。

子ども向けのロボットの大会はいろんな種類があり、その中の何種類かに参加させてもらっています。

その中であった、未だに私の中で心のトゲになっている出来事を聞いてください。

あれは2013年の今頃の出来事です。
当時社会人になってまだ駆け出しの頃でした。
少し仕事も覚え、自分の率いるロボットチームも全国大会まで導くことができ、手探りながらも頑張っていました。

そして、その年のロボットの大会の審査員の一人として、関係者や専門家の方々に混ざって参加させていただく機会がありました。

当時、私はまだ若かったし、その大会自体にチームとして参加した事もあったので、何も考えず、二つ返事で審査員をお引き受けしました。

一言でロボットの大会と言っても、実際にロボットを動かす実技だけでなく、それをどういう風に作ったのか、プレゼンする内容も含めて総合的に審査します。

つまり、「人の頑張り」という数値化できないものをあえて数値化し、順位をつけなければならないのです。

もちろんある程度のスコア基準はあります。
でも、一人一人の個性が違うように、一台一台のロボットも全く違います。
戦略や、考え方のセンス、チームワーク。

すごくいいロボットを作ることができるのに、コミュニケーション能力が追いつかずうまく説明できない子や、
練習ではうまくいっていたのに、本番で思うように動かなかった子、
親がかなり干渉してすごくお金をかけて作り、プレゼンで審査員に贈り物を準備していた子もいました。(受け取りませんでしたが。)

そんな、それぞれがそれぞれに頑張っているチームを私個人の感覚で数値化しました。まずその事自体がとても理不尽で残酷なように感じました。

そして、審査員の点数を合計し、政治的判断も考慮して最終的な順位を決定しました。

私が最も納得できなかったのは、この政治的判断です。

客観的に数値化できないものをあえて数値化し、さらに状況を鑑み順位をつける。
その事で、合計点数では上位の、本来ならば優勝するはずだった子が落ちる。

もちろん参加している子どもたちはそんなことを知らされる訳もないので、単純に自分の力不足だと受け止める。

その判断は、僅差であれば、審査する側にとっては問題なく大会を終えるための毎年繰り返される行為の一つかもしれません。
でも、受ける側にとってはその子の今後の人生を左右する、考え方の基礎となる、とても大事な経験です。

あれから何年も経ち、経験を積んだ今は、こんな事よくある事だし、それを乗り越える力がある子が優勝するんだ、って思うこともできます。

でも、同時に、本当に頑張ってきた子が、本当の意味で報われるといいなとも強く思います。

志望校を目指して頑張っている受験生や、
就活を頑張っている新社会人、
その他、狭き門に向けて今、頑張っている人みんなが、
普段通りの力を発揮することができて、
政治的判断なく正当に評価されますように。

そして、狭き門の門番が常に受ける人の味方で、正しい判断を心掛け、
その門番自体の努力も、報われますように。

センター試験の今日、たくさんの応援の気持ちを届けたい。

こんな拙い文章を読んでくださってありがとうございました。


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