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スマホ忘れただけなのに(2021/11/28)

・こんにちは、sirasuです。


・今日は踏んだり蹴ったりな1日でありました。


・なんでかっつーと今日は一日外出してたのにスマホを家に忘れたからである。そんなことがあるのか、と自分でも疑ったがこれは紛れもない事実であるのだ。

・僕は朝がよわよわなのでいっつも遅刻ギリギリを攻めるプレースタイルを好む(そうせざるを得ないとも言う)ので、家をでて「あ、スマホ...」と思っても、「いや、遅刻はヤバイ」の方に思考がシフトしてしまうのである。これは非常に大変な欠陥だ。


・結論から言えばスマホが無いくらいでは人間死ぬこたぁ無いので普通に生活はできたけど、なんか胸のあたりにポッカリと空いたあの空間。何かが足りない気がするのだが、その正体に気づけない。否、もう答えは知っている。スマホなのだ。スマホが日常に占めるウェイトはかなりデカいと言ってもいいことに気づけた。

・例えば、普段時計を持ち歩かない僕はスマホで時間を見るので、スマホが無いとすげー困る。あとは電車の来る時間とかも時刻表アプリで見ているのでこれも無いと困る。また、暇な時にTwitterとかをしたくなる、というかそれが日課となっているので、それを遮断されるとソワソワしてくる。これはもう依存症なのかも知れない。

・スマホってすげーな。これを発明したジョブズは最も優秀な発明をしたと同時に、最も愚かな発明をした男なのかも知れない。人類にとってスマホはまだ早い智慧の実だったのかもしれない。


・ただ、スマホが無いと散歩がすごく捗る。スマホというプラスアルファの情報を遮断して、目の前から流れてくる情報のみがインプットされるので、普段より思考のサイクルが回る。散歩とかしたい人は敢えてスマホを家に置いて出るといいだろう。

・しかし、面白いものを見つけて、写真を撮りたくなってもスマホが無いと言う悲しいことも起こりうるので注意な。


・電車の中、普段ならYouTubeでゲーム実況を見たりして(勉強しろ)いる僕だが今日は大人しく外を眺めた。すごいスピードで風景が流れていくが、この風景一個一個に人が住んでいて、ストーリーがあると考えると、縁とはなかなかすごいものだ。というよりは、この高速で流れていく景色に何も感じなくなっていた自分がいると言う事実がすこし怖かった。

・しかし、よく見てみると、家って結構画一化されているなー。窓の形とか、家の基本的なフォーマットって意外と似たり寄ったりしているものだ。とくに住宅街近いエリアの家はかなり均一化されている。逆に畑とかばっかりのところは土地があるのか、結構形が千差万別だったりした。こういう発見があったのも、意外と景色をみてないなーと思う。


・途中の駅で2人の子供とお母さんらしき人が乗り込んできた。その子供(幼稚園年長くらいか?)が何故かアメリカハナミズキという花についてめちゃめちゃ熱く語っていて、それをお母さんはそれを笑って聞いていた。そしてその子の妹は外の工業地帯のガスタンクを見て大笑いしていた。

・普段なら外界をイヤホンで遮断し、電車内で大声を出しているやつを心で呪い殺している僕だが、今日は何故だかその子供の話を盗み聞きしてやることにした。

・僕が今見ているアニメ「カウボーイビバップ」の主人公スパイクに言わせれば、ケダモノと跳ね返りの強い女とガキが嫌いらしいが、意外に子供が好きって人は身の回りにはいないものだ。かくいう僕も普段は子供が嫌いだ。お前も子供だろという指摘は置いておいて、ヤツらには論理が無いからだ。脳内がカオスと化しており、思いついたことを言い、思いついたことをやる。予測ができないヤツほど対人関係において恐ろしい者はいない。いきなりキレる教師が煙たがられるのと同じだ。


・しかし、子供にはいいところもある。それはヤツらはスポンジなのだ。電車の男の子は謎にアメリカハナミズキに詳しかったが、興味があることを余計な感情とか抜きで純粋に探求できる心は羨ましく感じる。

・僕らは大人になり、心が複雑になってきて、何かをやるのに一々対価を探ろうとする。見たいアニメを録画したはいいけど撮り溜めておく、なんてことを子供はしないだろう。ただそこにある水を吸うが如く、彼らは情報を吸収していくのだ。それは生きるために刻み込まれた本能かもしれないが、その姿勢はすごくいいものだと思う。僕も昔は恐竜にすごく詳しくて、周りから恐竜博士だとチヤホヤされたものだ。幼稚園の話だけど。


・こう思うと子供とは無限の可能性を秘めているんだなぁ。子供はメタモンだ。なろうと思えば何にだってなれるのだ。親が子を溺愛する理由がなんとなくわかる気がした。


・もし僕に子供ができたらどういう風に育てるべきだろうか。僕今までが見てきたアニメ漫画ゲームを全て吸収させ、究極完全体のセルのような最強のオタクを作るのはどうだろう。親から子へと受け継がれていく2次元コンテンツの遺伝はオタクの因子をより濃くしていくのだ。

・まあそれは冗談としても、無限の可能性を秘めた子供をより美しく花開かせるにはやはり剪定師としての親が絶対に必要なんだろうな。どんなにすごいスピードが出せるスーパーカーも悪路では走ることすらままならないのだから。人間が育つ環境は持ち前の個性と周りの環境とも言うし、そういう意味でも親っていうのは責任重大だな。

・でも、ガキンチョなんてのびのびと公園でモンハンでもやってるのが一番いいのかも知れない。親としてあれやこれやと教育という鎖で縛り付けても返って彼らに苦痛を与えるだけかもしれない。実際僕は、ガチガチに縛られた子供時代を送っていたから、それが少なからず今の人格形成に影響しているのはなんとなしにも感じる。でもそれは、親の期待の裏返しでもあると分かるから全てが悪かったというわけでも無い気はするのだ。でもデザインベビーのような考え方に僕は賛同はできないからやっぱり難しいテーマなんだと思う。



・とと。ただ電車に乗ってきた親子を見ていたらこんなことまで考えてしまっていた。


・うーん。スマホが無いというだけで、他に興味が持てるようになって、視点が広くなっているような気がしてきた。これは中々いいんじゃなかろうか。定期的にスマホ断ちする日を作っても良さそうだ。文明が進んだ現代人が四角い鉄の塊に支配されていると知った過去の人々に笑われそうだからな。



・でも色々と不便したし、やっぱり踏んだり蹴ったりの日だったわ!


・では、また。

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