”羨ましい”を”憎らしい”にしないために
他人が数多くいる空間にいると、
その人と自分とで技量や才能を比べてしまうことがあります。
学校や会社、今ではネットも、その空間の一つになっていますね。
特に同級生や同僚など、自分と年齢や立場が同じ人を比較対象にすることが多い印象にあります。
タイトルにある”羨ましい”は、自分と相手を比べたときの結果として出てくる感情なのではないかと思います。
羨ましいという感情は時に”憧れ”に変化して原動力になることがあります。
そのため、私は羨ましいという感情が悪いとは思いません。
ですが、羨ましいという感情は”憎らしい”という感情に変化してしまうことがあります。
自分よりも相手が優っていたり、相手の性格を受け入れられなかったとき、
憎悪の感情がやってきてしまいます。
これらは、私自身の悩みでもあります。
比較する癖によって前向きな考えができなくなってきてしまったので
先月からテーマにしていることです。
きょうも、比較癖について私が考えたことを話していこうと思います。
1. 他人と比べてしまう理由
あくまで私の考えですが、
ネガティブな思考と繋がっているように思います。
× 他人と比べてネガティブになる
○ ネガティブだから他人と比べてしまう
なのではないかと。
ネガティブな思考に陥っているときは、
かすかな希望を信じ込んでそれに頼ることが多いように感じます。
「この人より優っていれば……」
と、自分の存在価値を負けたときの代償にして比較の天秤にかけている。
そう思いました。
負ければ自分の価値を見失うが、勝てば優越感に浸れる。
ですが自分と他人を比べたとき、自分が劣っていると感じる
つまり負けてしまうことの方が圧倒的に多いです。
2. ”羨ましい”と思うこと|比較癖をやめるために
他人と比較してつらい気持ちになることがない人、つまり比較癖がない人が自分に勝っている人を見たとき
”すごい”、”羨ましい”と思うそうです。
この考え方がとても大切なのではないかと思っています。
”もうだめだ”と諦めてやめるより、”羨ましい”と思ってその人の良いところからインスパイアできれば一番良いのではないでしょうか。
3. 少しずつ|比較癖をやめるために
私が「どうにかしてこの癖をやめたいな」と思い始めてから
二ヶ月くらい経ちましたが、1ミリも良くなっていません。
良くなるどころか悪化しているような気もします。
人に飽き足らず物体と比較することも。意味がわかりません。
”何事も地道に”という言葉がありますが、私はこの言葉を受け入れたことがありません。地道は面倒くさいからという理由だけです。
もしかすると利き手を逆の手に矯正するよりも難しいかもしれません。
でも、これから前向きに生活するには直すしかありません。
地道に考え方を変えなければ、先生にも呆れられそう……。
なので、力技ですが”羨ましいと自分に言い聞かせる”ことから始めます。
最後に
よくない考え方をしてしまうことに悩んでいる人はきっとたくさんいます。
自分だけに与えられた苦しみではないということを考えてみると
少し気持ちが軽くなる気がします。
”自分を悩ませているもの”って、他人からすると全く理解できないものであることが多いんですよね。
これに気づいたのは、母に不安なことを話したときに怒られたことです。
「それでなんの問題があるの」ということでしょう。
悩みや不安を他人に理解されないときの虚しさはとても大きなものです。
同じく思っている人はいるのでしょうか。
もし誰かに悩みや不安を相談されたとき、
自分には理解できないからといって突き放すことはしたくありません。
突き放されたときの孤独感を何度か経験して学んだからです。
定期的に悩みを話したい日があるので付き合っていただけると嬉しいです。