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2024年6月2日 東京駅周辺地下をウロウロ その3

前回からのつづきです。 ひきつづき「インターメディアテク」と「KITTE丸の内」での写真を貼り付けていきます(そしてひきつづきタイトル詐欺かもw)。


2024年6月2日 東京駅周辺地下をウロウロ その3

前回インターメディアテク訪問時は写真が撮れなかった、自分の田舎の豊岡市出身の加藤弘之の「加藤弘之胸像」写真です。



説明版によると本当に但馬国出石(現豊岡市出石町)の出身のよう。 初期東大の「総理」&「総長」な方。 東大運営のここに書いてあれば本当のようだ(田舎住んでいたころはその存在が半信半疑でしたw)。 ここここで訪問した銅像の濱尾新さんと共に初期の東京大学を創り上げていくときに頑張った豊岡の人達、という理解でいいんですかね? そんな豊岡の人達のこともたまには思い出してください、と豊岡を宣伝してみるテストw。

参考
加藤弘之 - Wikipedia
濱尾新 - Wikipedia


工部大学校開業式に臨御の際の勅語書、です。



工部大学校も、ここここで銅像を訪問した北垣国道にスカウトされた田辺朔朗が首席で卒業した「工部大学校(後の東大工学部)」、的な説明をよく見かけて、謎の学校なんだがホント?、と思っていました。 が、ここに東大工学部旧蔵のものとして「工部大学校開業式に臨御の際の勅語書」なるものがあるのなら、そのように認識しても問題なさそうかも。 ためになりました。

ついでに少し調べたら、北垣国道も第三高等中学校の京都への移転のために熱心に運動していた~、豊岡藩出身の猪子止戈之助も官立医科大学の京都設置ならびに附属医院設立に奔走し~、とあるので、昔の但馬の人、豊岡の人学校づくり頑張ってんな~、とオモタ。 

以下を参考にさせていただきました
北垣国道 - Wikipedia
猪子止戈之助 - Wikipedia
京大広報 No.752(PDF)
100年前の吉田山麓 - Yagiken Web Site
6.古い同窓会誌から
第 8章京都大学キャンパスと建築の百年(PDF)


そして「インターメディアテク」から出て、「KITTE丸の内」にもどります。


最後に「KITTE丸の内」で豊岡鞄を販売されているお店の写真をパチリです。

豊岡を宣伝してみるテストその2ですw。

「KITTE丸の内」後は、また(雨に濡れない便利な)地下道を通りつつ東京駅に行き、そこから帰りました。


なんだか「インターメディアテク」と「KITTE丸の内」で田舎のことについて書く謎エントリになってしまいましたw。 そして、ますますタイトル詐欺もはかどってしまった気がします、スンマソンw。


まとめ

underconstruction


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