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2020年1月京都旅行 北垣国道銅像 その2

その1からさらに少し歩いて、やっと北垣国道銅像まで辿り着きました。

前回からまだ水力発電のための貯水池?が少し続きます。

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到着しました。

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北垣国道銅像の正面からの写真です。

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正面からの銅像+碑文です。

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今回も文面の抜き出しをしてみます。

第3代京都府知事北垣国道 銅像
 北垣知事の銅像は、琵琶湖疏水の建設に尽力された功績をたたえて、市参議会の議決により明治35年8月に建立されましたが、第2次世界大戦中の金属供出のため撤去され、台座だけが残っていました。
 このたび、琵琶湖疏水竣工100周年記念事業の一つとして、その台座を使用して再建しました。
 なお、台座に刻まれている碑文は左のとおりです(原文のまま)
 平成2年4月 京都市

上記の「なお、台座に刻まれている碑文は左のとおりです(原文のまま)」を下のように抜き出してみました。 漢文のようです。 よくわからない漢字は「?」にしています。

正三位勲二等男爵北垣國道
君?為京都府知事也主講水
利廣論都下人士起琵琶湖疏
水之工自明治十八年八月至
廿三年四月告竣蹴?三里導
流一道而水力之用運輸之利
極大矣於是衆咸頌其功胥謀
銅?君像立千水上以表永遠
懐恵之意云   
明治?五年八月建  京都市参事會


「?」にしているよくわからない漢字ですが、最後の「明治?五年」は「明治35年」として、その他は自分のテキトー予想では

2行目 君?為京 → 君業為京
5行目 蹴?三里 → 蹴上三里
8行目 銅?君像 → 銅鋳君像

かな???

漢文は漢字でなんとなく意味を想像するぐらいしかできませんねー。

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もうひとつ碑文?があったので同じように文面の抜き出ししてみます。 文章の間があいている所にはテキトーに句読点を、漢数字はアラビア数字に変更しています。

京都府知事 北垣國道(1836~1916年)
 北垣國道は第三代京都府知事として1881年~1892年の在任中に、東京遷都による京都再生のため琵琶湖疏水を計画し、広く市民にその有用性を説いて1890年に完成させた。
 発電、運河、灌漑、飲料水、防火、工業などその水利の効用はきわめて大きく、感謝の意をこめて1902年、この地に知事の像が建立された。
 しかし、第二次世界大戦中に供出により失われたため、琵琶湖疏水100周年と京都桂ライオンズクラブ結成25周年記念を期し再建された。
1990年4月 京都桂ライオンズクラブ

但馬出身の北垣国道についてのことは、自分が住んでいた頃の自分の田舎の但馬地方ではあまり教えられることも語られることもなかったと記憶しているので(自分の周りだけかもですが)、どうゆうふうに思われている人物であるのか確認してみたくて、この京都旅行中の機会にここまで来てみました。

碑文を見る限りは高い評価のようです、国道さん。 「発電、運河、灌漑、飲料水、防火、工業などその水利の効用はきわめて大きく、」とあるので「一石二鳥」ならぬ「一石六鳥」ぐらいに思われててスゲーなと思いました(←自分の表現力。。。)。 あ、あと現代の「蹴上インクライン」はシーズンには花見やインスタ映え(写真映え)スポットにもなるらしいから、「一石七~八鳥」ぐらいかもしれない。 なんてことを考えつつ北垣国道像を後にしました。

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