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その不調は、あなたを守るためのもの

この言葉は、いつかの私が言われたことだ。

体の不調とひとことで言っても相当広い。
私が言う不調は、手術や生活習慣で“なんとかならない”方の不調だ。いわゆるストレスと関係がある方の、不調のこと。


ストレスを感じやすいのは遺伝かもしれないし、育った環境かもしれないし、心身に受けたトラウマのせいかもしれないけれど、長引いている原因は、過去の出来事(後悔や他人からされた仕打ちなど)に意識が向いているか、まだ起きていない未来を先回りして心配しているかで、今、自分の人生を生きていないことなどが大きいと言われる。

私は、まさにそれだった。

あのとき私があんなことしなければ……
あのとき親が〇〇してくれていたら……
あのとき、あのとき、あのとき……

蓄積される感情をひとつ残らず持ち続けていたせいか、そう思うことが異常だと気づけなかった。

不調の症状はいろいろだった。
片方の耳だけが過敏になって、窓を開けての車の運転ができなくなった。人と喋るのは3時間が限界だった。頭痛や吐き気や、心臓の強い痛みは時も場合もお構いなしに唐突に始まるから外出もままならない。

原因を突き止めようとドクターショッピングを繰り返した。それでも答えがもらえなかった。あるとき質問表を渡された。チェックをして提出したら鬱病だと言われ心療内科を勧められた。

私はとても負けず嫌いで、私についた病名を絶対に認めなかった。当然、通うこともしなかった。医者であろうと誰であろうと、心の中を覗かれるなんて耐えられないと思っていた。


不調は何年も、何年も続いた。

焦りから次々に資格取得に手を出した。人と会わずに済む通信講座が多かったけれどいくつかは実際に習いに行った。その中のひとつがアロマだった。~のちに、そのアロマの先生がコンサル業を始め、流れで受講することになるのだけど、正直、アロマというワンクッションがなければ『絶対に』受けることはなかった。

心療内科の受診さえ拒絶した私がコンサルを受ける?
ありえない。

それが本音だった。
『お付き合い』で受講したようなものだった。

けれどそのコンサルで、長年に渡って私を支配してきた思考の癖や、価値観が壊され解放されたのだから、出会いや選択は本当に面白い。



なかでも、タイトルにした

その不調は、あなたはを守るためのもの

という言葉は、私の日常生活を大きく変えた。
実際はもっとセンセーショナルな言葉をくらったけれど、タイトルだから柔らかく表現しておいた。正確には、

自分が得をするから、病気になっている

と言われた。


たとえば予期せぬ大病をしてしまった場合、家族や他人やお金などのために『ものすごく』無理をして動いていることが多い。『あなた』は休みたくても休めなかった。心か体かどちらかが(もしくはどちらもが)限界を超えなければ『止まる』ことができなかった、という感じに。(もちろんすべての病気がこれに当てはまるわけではない)

ちなみに
私のような、いつもとにかく不調!という場合だと

・具合が悪いと誰かに心配してもらえたり――悲劇の主人公で、『大丈夫?』と他人に気遣ってもらいたいとか。
・具合が悪いから〇〇をしなくていいや、になったり――社会人なら働けない、学生なら学校へ行きたくない、主婦なら夫の親と同居したくないとか。
・具合が悪いことで、本来、自分がしなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことから逃げていたり――(実はこれが、私に当てはまった)――具合が悪いという部分にフォーカスしていれば『忙しい』。健康になれば『暇』になってしまい、自分のすべきことのために努力や行動を起こさなければならない。そこから逃げているため、具合が悪い、という多忙を作り出している。

になる。


これを突き付けられた時の衝撃は計り知れない。否定もしたかったし、激しい怒りや、恥ずかしさや、孤独も感じた。

けれど時間ともに、視界が澄んできた。

確かに私は逃げていた。
夢からも現実からも、逃げていた。焦りからいろいろなことに手を出したけれど、そのどれも仕事にすることはなかった。だって『本当にやりたいことじゃなかった』から。本当にやりたいことは小説を書くことだった。だけど選ばれないことがつらくて、つらくて、逃げていた。選ばれるための努力を続けることから逃げていた。

不調は、「今」から目をそらすために私が私に与えていた痛みだった。



    +  +

あの気づきから何年も経ったのに、私は懲りずに今も不調を抱えている。
まだ逃げているのだ。
自分を守るために。壊れないために。

 体調が悪いから小説に向き合えないの。
 しょうがないの。
 だって怖いの。
 頑張って選ばれなかったら、死んだように生きる未来しかないんだよ。

認めることは、大変な作業だ。
認めないと『訳の分からない不調』はこの先も永遠に『訳の分からない痛み』を連れて襲い掛かってくる。

だから私は今日も俯瞰する。
痛みの質を見極めて、痛みに支配されないようコントロールを続ける。


 どうにかしてこのまま書き続けられる道はないかって、
 心の奥の奥では、考えているんだね?
 苦しいね。
 この苦しみから解放されたくて、夢をあきらめたのにね。

私は今日も、胃が痛いと泣いて蹲る私に、吐き気のせいで眉間を寄せる私に話しかける。

 答えなんて、無理に出さなくてもいいんだよ。
 コロコロ変えたって自由だよ。

 あきらめてもいいし、
 あきらめなくてもいいんだよ。
 どっちだって、全然構わないんだからね。


いつか、私を守っている体調不良が消える日は来るのだろうか。そのときの私は人生にどんな結論を出しているのだろうか。書くことからきれいさっぱり足を洗っているのかな。それともあきらめてチラシの裏に書くように、呼吸をするように物語を作り続けているのかな。
今はまだ分からない。


だけど私はどんなときも、唯一の、“私”の味方でいようと決めている。

私を守れるのは私自身だ。










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