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慣れは人をダメにする、とは言い切れない


ふと、疑問に思った。
皆、メンターと呼ばれる人を持っているものだろうか。一流の経営者やスポーツ選手はたいがい持っていると聞いたことがある。では一般の人はどうなのだろうか。

ちなみに私は持っていた。
5年ぐらい、ひとりの人を“慕っていた”。
いわゆる自分を輝かせる系のグループコンサルを受けて、文字通り自分を輝かせるためのワークをせっせとこなしていた。

初年度、それはそれは素晴らしいコンサルだった。内容は濃く、破壊と再生が何度もやってきて、感情は揺さぶられ、幾度となく涙を流した。
終了時にはフレンドリーな熱血メンターとも、深く関わった特別な仲間たちとも離れがたく皆、次年度も継続することになった。そんなことが数年続き、メンターの彼女はいつしかあらゆるところで手を抜くようになった。

こうなると、もう惰性である。
開始時間が遅くなり、会議室を借りてやっていた講座はいつしかレストランの和室になり、だらだらと雑談に終始する。ランチの時間が迫ってきてようやくコンサルっぽいことに話題を移すが、その中身は何年か前にもやったよね、というワークの焼き回しだった。もしくは、またそこに戻るのか、という深掘りワーク。帰りの車の中で私はいつもモヤモヤした気持ちになった。“これ”に〇万か、と。

だが人間は、弱い。
すっかりお友達のような関係性になっているメンターに「やめます」とは言いにくい。(そして仲間と離れがたい)そうなると、まあいいか、とあきらが入る。ある意味、受講料はそのメンターへの“投げ銭”という不思議な感覚だ。
その感覚を体験するために、私はコンサルを続けてきたのかなあ、と振り返る。特定の団体から抜け出せない気持ち。地下アイドルを応援し続ける気持ち。(ちょっと違うか)

コンサルを受けたこと自体に後悔はないが、継続し続けなければ元へ戻ってしまうことは残念だと今も思っている。(元へ戻ったと思っても、ほんのちょっとは良くなっている、という理屈は正しいようで、あまり正しくない)――と、切実になんとかしたかった部分には劇的な変化はないものの、その他の、小さな問題点は改善できた。そのことにありがたいと思って、私はようやくコンサルを卒業した。別れ方があまりよくなかったこともあり少しの間、モヤモヤもしていたけれど、今はどうでもよいや、と思うようになった。(時間薬)

現在の私はというと、有名セラピストやコンサルタントのブログやメールマガジンをいくつか拝読している。この内容で毎日無料で受け取っていいの?と思う素晴らしさで、驚く。
何がすごいって、コンスタントに他人に自分の時間を与えていること。
中には365日一日も欠かさず与え続けている人もいる。(やってみたことのある人は分かると思うが、メルマガなりブログなり、それを毎日出し続けるのは口で言うほど楽じゃない)
人は習慣を止めると簡単に昔の自分に戻ってしまう生き物だ。毎日発信してたら、読者は一日も欠かさず心のトレーニングを行うことができる。本当にありがたい。
ここで私は、慣れという言葉に左右されない人がいることを知る。知って、そこから感じていく。継続することへの勇気だったり、厳しさだったり。

時々、思う。
他人の性質を変えようなんて考える人たちはどんな心の在り方をしているのだろうかと。ポジティブ脳? 自分大好き系? アンチにも耐えられるメンタル?
最低でも、この三つは必須だろうな。欠けていてはいつかどこかで病んでしまったり、その仕事を辞めてしまうような気がする。あとは、直感で動く、みたいな? それから“悩まない”というイメージがある。

どちらにしても、私には到底行き着くことのできないレベルだが、そういった人たちの発信に触れていると、『慣れ』に挑んでいくか『慣れ』に甘えるか、日々の中でその分かれ道を意識するようにはなる。

挑む自分になれたら変わるよね? どうする?

奮い立てれば万々歳だけれど、自問しても後者を選んでしまうこともある。その代わり、かわり映えのしない現状を他人のせいにはしなくなる。かわらないことを選択しているのは自分だから。

言い訳に聞こえるかもしれないが、私は思うのだ。
誰も彼もが何者かになったり、高みを目指さなければならないわけじゃないと。現状維持が自分を守る場合もあるし、その、慣れた環境を『幸せじゃない』と他人が判断するのは驕りだし。

実際、慣れたところにいたい、という時期は誰にでもある。エネルギーが小さく、弱いときは特にそうだ。弱いときは、弱い理由があって、弱っている。だからそんなときに焚きつけられて奮い立ったら大怪我する。特にメンターを持っていたりすると洗脳のような状態で無理矢理動くのでボロボロになる人は一定数いるだろう。借金が増えたり、家庭を顧みなくなって離婚したり、見えないストレスのせいで大病を患うことになったり。(それすらも『経験だ』と言われてしまうけれどね)でも、充電完了を待ってから動いても遅くはなかったよねえ。

なんにしても、弱っているときは力を蓄えるときだと自覚して、焦って動く必要はないと私は思う。慣れた場所でぬくぬくして、「だからあなたはダメなんだよ」と言われても「その通りですね、ごめんなさい」と言っていればいい。私はメンターを否定しないけれど、依存させるメンターならいない方がマシだとは思う。だって他人は『私』に責任なんて取らないんだから。
自分のことは、自分がなんとかしないとね。






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