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ごくごく平凡な人間が、テレビ業界でディレクターを続けられる理由を振り返ってみた

「好きこそ物の上手なれ」という言葉があります。
皆さんもご存知の通り、意味は「どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早い」という故事成語ですが、間違ってはいけないのが、必ず上手になったり、人を凌駕する成果があげられるものではないという事です。
テレビ業界、特にバラエティを制作していると、天才、秀才、奇才などとにかく面白い事を次々と考えられる人がわんさかいます!そんな中、好きな仕事をしていても、勘違いを繰り返し、アイデアも平凡な僕がテレビ業界で生き残ってきた自分なりの処世術を少しばかり話していければと思います。

AD時代

バラエティ番組に身を置いてみて、まず衝撃を受けたことは、なぜこんなに面白い人たちばかりいるのか?ということ。ディレクターさんや作家さん、演出の人たちのアイデアや番組の作り方を実際に目にするたび、なんでその発想が出てくるのか?スゴいなぁと思っていました。
はい!ここです!
思っていただけならいいんです。思っていただけなら・・・
そう!ここでやってきたのが最初の勘違いです!一緒に仕事をさせてもらっていく中で、自分もその面白い類の一員だと認識してしまったんです。
面白い人間だと・・・
しかも当時、自分も若く血気盛ん!自分のイラつきもコントロールできない、いわゆるトガっていた時期です。
自分も面白いことを考えられる人間だと思っているので、提案していることになんでOKが出ないんだ!とか、自分がミスをしているのに怒られることに疑問を持ち、ディレクターさんの指示が理不尽に思えて仕方がなく、挙げ句の果てに俺は何も悪くない!ディレクターが間違っているんだ!とも。とにかく変なプライドが邪魔をしていたんです。
これは後々気づくことですが、知識も経験もないくせになぜか自分のやっていることが正しいと思い込んでいる。だから否定されると腹が立っていたんですよね。
ADの仕事の多くは、ディレクターさんが目指しているものの意図を汲み取り、どれだけ実現させられるように動くか?なんですが、当時の自分は「ADはディレクターになるための準備期間・勉強期間だ」という意識よりも「理不尽なことをさせられている、雑用仕事をさせられている」と自分が傷つかないために都合よく転換していたんです!
これはただの「傲り」
そんな勘違いをどう直し、改善していくか?それは・・・

自分は出来る人間だ!という、変なプライドを捨てること。

はい、単純明快な答えです。これで、ほとんどのイライラが取り除かれて、めちゃくちゃ素直に人の意見を受け入れることができるようになりました!
意見を受け入れられるようになると、ADさんとして認められる仕事ができるようになり、いろんな仕事を任せてもらえるようになったのです。

新人ディレクター時代

チーフADを経験し、仕事ぶりが認められて、晴れてディレクターデビューがやってきます。これからは自分の作りたいもの、面白いものを作るぞ!と再びやる気スイッチが入るタイミングですが・・・

ここでまたしても勘違いをしてしまう!
チーフADの時は、番組に関するいろんな仕事をこなせて「出来るAD」として周りから頼られるので、マインドが高まっている状態でディレクター業務に取りかかります。
しかし、そこはディレクター1年生。仕事ができません!笑えてくるぐらいできません!
それにも関わらず、天才・奇才ディレクターと同じように、オモロいことバンバン考えます!自分の考えた企画で人々を笑わせます!と思っていたんです。

はい!思い出しましょう!
自分は「平凡」だということを。
自分は出来るんだ!というプライドを一度捨てたはずなのに、いつの間にかまた育っていたんです。

自分の中では一生懸命考えて作っていたつもりなんですが、オフラインにかかった時間よりも直しの方が時間がかかる・・・なんてこともあったり・・・まあ納得してもらえることができませんでした。
それこそ、「自分はディレクターに向いてない」「辞めた方が・・・」まで落ちました。
そんな落ちまくった気持ちを改善する自分なりの方法は

とにかく数をこなし、余計なことを考える隙間をなくす!

その時の自分は、とにかく経験を積むしかないと考え、特番などには全部手をあげるくらいの勢いで仕事を詰め込みました。プライベートの時間なんて、飯、風呂、寝る時間ぐらいしかなかったように思います。遊びたい時は睡眠時間を削ってました。今考えるとバカげた生き方です。
ただ、その時は自分にとってベストな選択だと思い込ませて不安を感じる隙を与えないようにしていました。

そのため、友達との付き合いも減り、彼女にも愛想を尽かされ、規則正しい生活など皆無で、入社した時から15㎏ほど体重が増えていました…

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中堅ディレクター時代

そして、ディレクターとして4〜5年が経過したころ、またしても負のスパイラルに陥ってしまいます。この頃には後輩のディレクターも出来てくるんですが、その中にいるんです。天才・奇才ディレクターが!
まあそれはそれはクオリティの高い面白いVTRをバシバシ作ってきます。
才能の違いをまざまざと見せつけられます。
そこで、「平凡」な自分はどうすればいいのかを考えるわけですが、ここで邪魔をしてくるのが、「自分が先輩である」というプライド。負けを認められないんです。
新人ディレクター時代の「数だけはこなしてきた実績」を武器に戦おうとしてしまい、さらに自分を追い込みます。「俺は負けてない!」と。
結果、同時に何本も抱え込み、周りから見ればワーカホリック状態。デスクの上には3番組分のハードディスクが並び、締め切りに常に追われていて、何日も会社に泊まり込みひたすらこなす毎日。そんなやり方をしていたら、いいものなんか作れるわけないんです。余裕を失ってしまっているのだから。新しい物のインプットどころか、頭が正常に働きません。
そこで、ふと思ったのは、

他人を認めること

これは処世術にはなっていませんが、これができるようになって、自分で勝手に背負い込んでいたものが無くなった気がします。後輩であろうがなんであろうが、VTRのクオリティを上げられるのであれば、自分でやるよりやってもらった方がいいし、準備段階での意見も求めるし、もらったアイデアは活用させてもらいます。だって自分はあくまでも「平凡」なんですから、出来る人の力を使わせてもらうしか無いんです。

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最後に現在・・・

改めてこれまでを思い返してみると、結局のところ一人でなんでもこなそうとしてきた結果、挫折を繰り返していたんだなと。
自分は天才でも奇才でもなく、何か特別な才能があるわけでもない。一人の力で出来ることなんてたかが知れています。自分の勝手な思い込みや嫉妬、プライドはテレビ番組作りには邪魔でしかないのかなと思います。そして他人を認めることによって自分の出来ないことをフォローしてもらえます。するとどうでしょう?自分では作れなかったクオリティの高いものが作れるようになるんです。そして、認められるようになります。
結局のところ、「平凡」な自分が生き残るためには

プライドを捨て、先輩・後輩関係なく周りの能力に乗っかる

ということなのかなぁと。悪い言い方をすればできる人の能力を利用すればいいのです。
僕も演出という立場を任されることも少なからず出てきました。
そうなると、自分が作りたいものを多くの人が形作ってくれるようになります。
あらためて、人の力を借りないと作品が完成しないということを実感しています。

そして、その時に決して忘れてはいけないのが「感謝」です。
これ意外と人には伝わりにくいものだったりします。
天才・奇才な人は、どんなに理不尽でも、周りがその人の才能に惚れているのでついてきてくれるんですが…でも、そんな人は極々一握りの人たちであって、なろうと思ってもなれないので、手伝ってくれた人、頑張ってくれた人には「感謝」出来る人間でありたいと思っています。
あと、大切なことが一つあります。何度もプライドを捨てると書きましたが、出来上がった作品に関しては「自信」を持ってください!

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ここまで「平凡」な人間がディレクターを続けてこられた理由をつらつらと書いてきましたが、いや〜面白味の無い平凡な文章だこと!クスッとするところさえ無い・・・
この「平凡」さも何かに役立つ才能だと信じて、好きな仕事を続けていけたらと思います。

株式会社シオン
ディレクター
吉仲 哲也

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