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元芸人・金髪若手ディレクター田邊!

当初はお笑い芸人という仕事を目指していた一人の青年が、いつしか映る側ではなく撮る側の仕事に就いた経緯、そしてディレクターになりいつしか金髪になっていった背景を語らせていただければと思います。

そもそも演者側として目指していたテレビ業界

タイトルにもあるとおり高校を卒業後、私はお笑い芸人を目指していました。
所属していた事務所は“人力舎”という、先輩にはおぎやはぎさんや、アンジャッシュさんなどがいる、由緒ある事務所。そこの養成所に通い、事務所に所属したのですがわずか半年でコンビ解散。当時21歳で早々にお笑い業界を諦めることにしました。解散を切り出したのは私自身。諦めた原因はいくつかあってあんまり思い出せないんですが、強烈に印象に残っているのは、とにかくネタがウケなかったことです!辞める直前のライブでは今までの滑った記憶がフラッシュバックして出番直前までトイレで嗚咽してた思い出があります。相方の田島くんには申し訳ないことをしたなと思います。
そんなこんなで芸人は諦め、就職しようとした時、芸人さんを支える業界に行きたいということでテレビ業界に足を踏み入れたのでした。

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SIONに逃げ、救ってもらった話

業界歴は今年で7年目になるのですが元々は別の制作会社にいました。その制作会社はとにかく忙しく、入社してからの3ヶ月間は休みがなく早速この業界の洗礼を受けました。そして入社して3ヶ月目に転機が訪れたのです、それがSIONへの出向でした。
とにかく逃げるように上司に懇願しSIONに出向させていただきました。
SIONに来てまず驚愕したのが土日は休んでいいよということでした。
土日休みをADになってから経験したことない私はその休みを何していいか分からず、朝から夕方まで公園でブランコに揺られていたことを覚えています。
ということもあり以降SIONにかくまってもらっていました。SIONは私の命の恩人と言っても過言ではないでしょう。

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無名番組しかやってこなかったAD時代

ということでSIONに来てから始まった第2のAD人生。やってきた番組は日本テレビ「人気者になろう!」、関テレ「潜入!ウワサの大家族」、AbemaTV「芸能㊙︎チャンネル」。
知ってるよって方いたら話しかけてください〜。全然、有名な番組はやってこなかったのです。そんな感じだったので当時はとにかく焦ってました。新しい番組に移るたびに「今まで何の番組やってたの?」と聞かれても誰も知らない番組しかやってないので信頼されないんじゃないのかな?と不安になっていましたが、今では、「ニノさん」と「金スマ」を担当させてもらえるように。パキッと担当番組を言えるようになりました。諦めずに続けていればチャンスは巡ってくるものですね。芸人の養成所に通っているときも“売れている芸人の共通点”というものをはじめに教えてもらうのですが、それが「どの芸人も売れるまで続けている!」ということ。当時、若造の私には理解ができなかったことを別の職種で身に染みて感じることに。芸人を育てる場所なのに深いことを教えてくれるもんですね。もし人生に悩んだら一回、養成所に通うのおすすめしますよ〜。

無名番組もやってて損ばかりではないです。むしろ思い返すともう一度やりたいな、なんて思うくらいです。特に思い出に残っているのはSIONに出向になったきっかけとなった番組「人気者になろう!」です。MCは当時まだ今ほど人気ではなかった“千鳥”のお二人。毎週千鳥がグラビアアイドルと色々な企画に挑戦する番組でしたが、そこで私はドッキリの仕掛け人としてブリーフ一枚でグラビアアイドルを驚かしたり、カッパの姿に扮して驚かしたりと普通の番組では経験できないようなことをやらせてもらいました。千鳥さんにつっこんでもらったりもして嬉しかったのですが、それよりもテレビ制作の意地を周りの方々から学んだ気がします。泥臭く笑いを狙いにいくディレクターの思考は芸人に通ずる部分を感じて何だかかっこよかったのです。

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モノマネ処世術でディレクター!

では最後に、人生で一度も髪を染めたことがなかった私が、今現在、金髪にした理由をお教えしましょう!それは先輩が金髪にしているのがカッコ良かったのでまんまマネしたのです!
2020年にSIONに入社した私ですがその時担当していた番組が「新・日本男児と中居」という中居正広さんがMCの番組。毎回、何かに心酔している一般の方が中居さんとトークを繰り広げる番組なのですが、そこで菅田将暉になりきって暮らしている方だったり、米津玄師になりきっている人だったりを取り扱ってきたのですが、彼らをみて誰かのモノマネをすることって楽しそう、と感じたのです。実際過去を振り返ってみると学校で笑いをとる時なんかは先生のモノマネだったり、服を買う時なんかは雑誌をマネてるなと。なのでその時、面倒をみてくれていたフリーの演出の方を尊敬していた私は、その人になりきろうと、その方が金髪にしていたことからとりあえず金髪にしました。だからといって構成力が強くなったり、編集が上手になったりはしないのですが、何となく今ディレクターをやれている自信の一つにはなっているはず!なのでちょこちょこ、いろんな方の仕草やクセも実は真似ています。常盤Pの後輩との距離感を縮めるためのしつこい絡みだったり、本田Dの物事を説明するとき親指と小指が内側に入り気味になる手の形、吉仲Dの椅子で寝る姿勢。ちょこちょこ真似しています。それは先輩だけにあらず、後輩の前田Dの、先輩を傷つけないちょうどいいツッコミなど。もし私と話してて「あれ?これ俺っぽいな?」と思ったら「真似してる?」って聞いてください。きっと真似してます。
ADっぽさが抜けなかった私ですが、モノマネすることでディレクターっぽくなっていってる気がします。これおすすめします。

最後の写真はプリズンブレイクの主人公、マイケルスコフィールドのマネをして坊主にした結果の田邊でございます。

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株式会社シオン
ディレクター
田邊 恒平

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