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なんだかんだで人生どうにかなる。行き当たりばったりのこれまで

おはこんばんにちは。常にいつでも使える最高のあいさつです。
中途入社のため、社内でもあまり知られていないであろう影のような存在。
そんな人間の行き当たりばったりな人生。
とりあえず人生を楽しんで生きていこうと日々生きているそんな人間です。

なんでADに?

私は専門学校に入り、業界を「音響」で学んでいました。学校に入った当初第一希望はラジオでした。在学中にラジオ会社から声をかけていただき、そこに入社できるかと思いきや業績不振のため、今年は雇えないと連絡が。時は卒業前の12月。どうせいっちゅうねんと思いつつも、ネームバリューがあるからという理由だけで受けていた劇団四季に音響として合格。恐らく劇団四季に今まで1度も観劇したことはありませんと言い放ち合格した人間は私ぐらいだと思っています。そこから毎日ルーティーンのような仕事に嫌気がさし退社。もう1度業界に入ろうと思い、ADになりました。そこまでテレビ好き!とか、ずっとADになりたくて!のような熱は全くありませんでした。ただ、特撮が小さい頃から好きだったので特撮俳優に会えたらいいなとかそんなミーハーな気持ちはありました。

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ADとしてのスタート

WOWOWの特番担当としてAD人生をスタートしました。初日から終電で帰ったり、リサーチが終わらないから深夜までリサーチして朝起きてまた仕事のような旧時代の仕事(今はこんなことは滅多にありません笑)をしながら、仕事にやりがいを求めるタイプの私はキツいけど楽しいわ。と感じていました。最初にやった仕事がスターウォーズの特番で、スターウォーズが大好きな私はカメリハで尾上松也さんが持ってきた私物のライトセーバー(ずっと欲しかったけどめっちゃ高いやつ)を振るったときは興奮と絶対に壊せないという恐怖で手から体温が消えました笑
きっと初めてライトセーバーを持ったときのルークもこんな気持ちだったはず…。ここから中京テレビの特番や、ヒルナン、日テレの特番など仕事をするうちに特番の時に出会ったプロデューサーから誘われ、ぐるナイに所属しました。拙い英語で海外の方たちにインタビューしまくったことや、同じバスに毎日乗って何か面白いものが見えないか席を変えて見まくっていたことなどはいまなお思い出せる希少な経験です。ここで失敗をして注意を受けたことは現在の自分の大きな糧となっており、そこから仕事に対する細かさが生まれたと思っています。

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ぐるナイとの出会い

上ですでに言ってしまったのですが、僕が特番を担当していた際ディレクターがぐるナイも担当していて、「ぐるナイでやっていけそうなADがいる」と言っていただき、プロデューサーが興味を持ってくれた結果ぐるナイへ所属することになりました。昔我が家では母がテレビっ子だったためテレビのチャンネル権は全て母が握っており、金曜の夜は必ずぐるナイを見ていました。チャンネル権を握られていた影響でドラえもんやクレヨンしんちゃん、名探偵コナンなどの国民的アニメは全く見ずに育っていました。大人になってからのび太がおばあちゃんに会いに行くという話を見て目から涙が止まらなかったです。脱線しました…。とにかく幼少期はぐるナイを見て、つまりナイナイさんを見て育った私は二つ返事で了承してぐるナイへの所属となりました。私はナイナイだと矢部さんが幼稚園の頃から好きでして、数取団の矢部さんの免許証を持ち、矢部さんが考えたと言われるやべっち寿司の「豆腐を崩して叙々苑ドレッシングを混ぜて食べる」という食べ方をいまだにやっています。見た目はアレっぽいですが、めちゃうまです。そんな憧れの人と一緒に仕事が出来るということにたまらなく興奮しました。

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ぐるナイADとして

ぐるナイに入り、まず最初に担当したのがまさかの新企画「クイズあの日のテレビ欄」。ひたすら過去の日テレの番組を見直して面白かった部分を新聞のテレビ欄と合わせてクイズにする企画。この企画で私は電波少年とモグモグGOMBOなど何番組かを全て目を通しました。働いている時間は長かったですが、全然苦じゃなく、面白かった記憶です。その次にはカレー企画をこなし、ここでV6の長野博さんとお仕事をしました。私にとっては長野博さんはウルトラマンティガ。同世代の男なら全く同じ感想だと思います。いまだにカラオケに行くと高確率でTAKE ME HIGHERを歌います。そんな幼少期のヒーローと一緒に仕事が出来たことは今でも思い出に残っています。そこからゴチになりますなど色々仕事をさせていただき、異例のぐるナイに入り1年と少しでチーフADとなりしばらく本気を超えて死に物狂いで働き続ける日々が続きました。経験の無い私が他のチーフと同等レベルまでやり遂げるにはとにかく他の人よりも長く作業する。ディレクターの意図がくみ取れるように単語のイントネーションやそこに含まれる裏音声まで読み取る、脳内シミュレーションを繰り返すなど常に頭を回転させていました。その中でも標高1600mぐらいの高さから綱1本で下りたり、目の前のケーキが爆発したり、火のついたふんどしをつけながら走ったりいろんなことを体験しました。他にも矢部さんとタイに行ったり宮古島に行ったり得難い経験をさせていただきました。ロケの時に顔を見られて「またお前か」と言われたり「お前どこでも生きていけそうやな」と矢部さんに言われたことや一緒にロケ先で飲みにいかせていただいたことはこの業界にいなかったら出来ていない珍しい体験だと思っています。また、特撮俳優とたまにお仕事が出来るのも嬉しいです。

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これからの目標

そろそろディレクターに上がる頃だと考え、以前よりもいろんなジャンルの番組を見るようにしています。こういう編集をするんだとかここにテロップが入るのか!など様々な色が見えて面白いです。ただ、純粋にテレビを楽しむことは出来なくなってしまいました。これからは色んな番組に呼んでもらえるような編集技術を身につけていけたら。とりあえずやれることは知識を身に着けることだなと思い、ドキュメンタリーなど自分が今まで見てこなかったジャンルなども見るようにしています。特にやりたいことが無くてもチャレンジをすることが大事だと思います。そこから得られるものもあるだろうし、自分に向かないということを得られたのであれば仕事を辞めてしまうのも悪い判断ではないと思います。好きなことを仕事にする。目標があるということは綺麗で輝いていることだと思いますが、まずは動いてみる。これが1番大事だと思っています。今後のミーハーな目標はオダギリジョー、木村拓哉と一緒に仕事をすることです。そして最後に少し宣伝させてください。ドラマ好きな皆さん是非1度毛嫌いせずに特撮を見てみてください。1年間もやるドラマなんて金八先生ぐらいしか知りません。特に平成1期と呼ばれるクウガ~ディケイドの世代は大人をターゲットにしており、ストーリーも重めです。是非一緒に語れる社員の方を募集しております笑。

株式会社シオン
アシスタントディレクター
小山 巧

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