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変人【オヤスミの前にvol.15】

僕は自分のことをこれ程までにないほど常識人だと思っています。
常識人というよりも凡人という意味が正しいのかもしれないです。

だけどそんな自分が中々好きになれなくて目の前に出てきた壁を一枚、一枚と突き破ってきた。
時に破ろうとしてぶつかって怪我をしたり、破れずじまいで迂回したりと凡人なりに一歩ずつ一歩ずつ進んで生きてきました。

しかし最近もしかしたら皮肉なことなのかもしれないですけど、「変人」とか「面白い」という言葉をもらうことが増えてきた。
僕自身がやっていることはあまり変わらないので不思議な感覚です。

いつも僕と話をしてくださるかなり歳上のお兄さんの1人から「君は天才ではない。だけど自分が天才じゃないって分かった上で音楽という局面に挑んでいる。それはおかしなことだ。才能がないと思いながらも才能と戦おうとするなんて。普通人は自分が天才だと思えることか客観的に見て得意なことや出来ることで戦うんだよ。」と話された。
「そういう意味では変人かもしれないね。」
なるほどな。と思ってしまいました。
このお兄さんは色々なことを教えてくれるから僕はいつも質問や考え事を相談している。

最近になって僕の常識や当たり前は他の人にとっては当たり前ではなかったりすることを遅いかもしれないけど理解し始めました。
意識のないところで誰かを傷つける言葉が当たり前から生まれてしまうこともあるかもしれない。
そう思うと恐ろしいですね。
人と話すことが怖くなってしまいます。
だけど人とコミュニケーションを取らずして何かをするってことは多分僕には出来ないです。
だから怖く思っても人とコミュニケーションは絶えない、傷つけないようになんて言葉を選んでも結局傷つけてしまうこともあるし、逆に伝えたいことが伝わらなくなってしまったりもします。
なんか考えていたらごちゃごちゃしてきました…
言葉って美しいし、力があるけど使うのが難しいですね。
また、お兄さんに相談してみようかな。

変人とか変わっているって言われるのは僕はあまり好きじゃないです。
だってこんなコミュニケーションとか言葉とかでいちいち考えてこんでしまうんですよ。
変人だったり天才だったりしたらこんなこと考えなかったんじゃないかな?

こういうモヤモヤした時に昔は世界をめちゃくちゃにしたいなんて考えたことがありました。
そんな気持ちを体現したようなアニメに最近出会いました。
「残響のテロル」というアニメです。
面白すぎて移動時間を駆使して2日で全話観てしまいました。
タイトル通りの残響を駆使した劇伴に沿って描かれる美しい青春クライムサスペンス。
15.16歳のころのモヤモヤを綺麗に体現したような作品で心打たれました。
凡人の僕は人の感想が気になったのでネットの掲示板でアニメの感想を検索してみました。
そしたらなんと酷評の嵐。
話がめちゃくちゃとか書かれていました。
あれ?もしかして僕の15.16歳の時に抱えていたモヤモヤは当たり前じゃなかったのか?

おやすみなさい。
今日も1日お疲れ様でした。

【今日聴いたベストソング】
主題歌/MOROHA
→歌詞に胸打たれすぎて帰り道に涙が溢れてしまいました。よかったら聴いてみてください。

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