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かえる。

最近私が考えている現象のひとつに、「蛙化現象」というものがあります。この現象についてネットで調べてみると、次のような定義が出てきました。

蛙化現象とは、片思いの相手から好意を返されると相手に対して嫌悪感を抱いてしまう、両思いになった途端に恋愛感情が冷める、という心理的な傾向を意味する言葉である。(Weblio辞書から引用)

今思うと、この現象を初めて目の当たりにしたのは、私が小3のとき、だったかもしれません。私の友人Aちゃん(仮名)が好きだと言っていた子がいたのですが、その子もAちゃんを好きだという噂が流れたのです。要するに、Aちゃんはその子といわゆる「両想い」の関係になったわけです。私はAちゃんに「よかったね!両想いだ〜!!」なんて声をかけると、Aちゃんはなんと言ったでしょうか。

「んー、なんかそういう(両想いの)関係にはなりたくないなあ。というか、そこまで好きじゃない」

びっくらこきました。まさかそんな言葉が出るなんて…Aちゃんが好意を抱いていたその相手は、当時よくモテる男の子でした。そんな女子から人気のある子と想いが通じたことに、嬉しさを感じるだろうと勝手ながら思っていたので、Aちゃんの思わぬ反応に私はあっけらかん。当時の私にとって、Aちゃんの考えは理解できないものでした。

しかし、ある時ハッとしました。想いが通じた瞬間に冷めてしまうということもあるのだと、私は気づいたのです。それは高校生になってから(あくまで「今思い返すと」という感じですが)、気になる相手にバレンタインを渡した私はそのお返しを貰ったのです。そのとき、私が感じたのは、「やったー!ルンルン♪」という嬉しさではなく、「お、おう……」という戸惑いでした。(今思えば、その戸惑いは、「冷めた」というより「驚き」のほうが近かったのかもしれませんが。)その際に初めて私は、「カエル」の心情の存在を知ったような気がします。

あの時どうしてそう思ってしまったのだろう。それが気になった私はいろいろ考えてみたのですが、この現象は「一方通行の想いであってほしかった」というワガママな想いからくるものではないかという結論に至りました。

「結局は、片想いのときが一番楽しいものだ」、そんなセリフが蔓延ったり蔓延らなかったりする世の中。このセリフもまた、「カエル」の真の姿を表したものだと言える気がします。他人から好かれることに慣れない人が、誰かを好きになったことで、「私はこの人から好かれることは無いだろう」と勝手に言い聞かせ、結果的にそのような心情から相手に対し勝手に幻滅する。なんて自己本位な感情なのでしょう。

でもこのカエルの感情、なんとなく、この世の真理って感じがします。片想いが楽しいのも、相手の想いよりも自分の想いのほうが愛が大きいと思えるから楽しく感じるのであって、両想いになると「どちらのほうが、愛は大きいのだろう…?」と、相手と自分にあるギャップによる不安が押し寄せてしまうのです。ここでは、お互いの愛の単位(厳密には、そんなもの存在しませんが)を、あえて「大きさ」という言葉で表してみました。愛の大きさなんてものは、誰にも測ることができないし、人によってその尺度も違うし、目にも見えないし、判断が非常に困難な概念と言えます。

愛の大きさ、で思い出した話ですが、友人と「友達や恋人からもらうプレゼント」の話をこの前しました。プレゼントって、互いの愛の大きさを知ろうとする手段のひとつですよね。プレゼントは貰えたら嬉しいし、貰えなかったとしても「気持ちだけでもありがたい」という常套句(?)もあるくらいですが、その購入手段がおカネなだけに、嬉しさ以外の感情(驚き、失望、苛立ち、などなど?)も出てしまうことがあったりなかったり。

プレゼントも、好意と同じように、自分と相手との間に、理想と現実のギャップが生じてしまうものなのだと、私は友人と白熱した話をしながら私は思ったのでした。正解の分からないものは、いつだって「ギャップ」に悩まされるものですね。ただ、自分のもつ理想や、相手の行動という現実、どちらか(もしくは両方)を、変えることができれば…いいんですけどね。


今日のところは、こんなもので。

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