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比べない。待つ。

みぃは、木曜日だけ一時間目から学校(通級)に行きます。長い間、わたしが教室まで送り届けていましたが最近は家から一人で行くようになりました。いま、三年生ですから長い時間かかりましたが先生との信頼関係や安心感を積み上げて一人で登校するようになりました。

うちは家から学校まで徒歩数分です。いつも教室まで送るのは過保護と思われるような行為ですが、わたしにはそれが出来る環境があったのでやって来ました。送迎すると先生方とも話せるので都合も良かったです。たまには無理矢理、一人で行かせたりもしました。わたしも面倒に感じてイライラすることもありました。でも、みぃにお母さんに来てほしいという気持ちがあったので、それを受け入れてきました。

しつこいようですが、こういうことを甘やかしていると感じる人は多いと思うし、わたしも自分の子が幼稚園や学校に楽しく通えるタイプであれば、そう思っていた気がします。「あの家はああやって甘やかしているから学校にも適応出来ない弱い子が育つんだ」と。

自分がその立場になってみないと理解できないことがありますよね。

でもやっぱり過保護にしたくないという想いが常にあります。いつも今でもこれでいいのかなと半信半疑です。

ただ、こどもの気持ちを受け入れる。尊重する。これを繰り返してきたことで、心がまあるく柔らかく育ったなという実感はあります。人に対して寛容な、おみぃは、5歳くらいまでは、わたし以外の大人は寄せ付けない様なオーラを纏っていました。警戒心が強かったし、自己防衛していたのかもしれません。大人が微笑みかけても、話しかけても、興味のない素振り。だけど、みぃのことをわたしが理解して彼女の気持ちに添うようにしてきたら、その尖ったオーラは消えました。この変化はかなりハッキリしていたので、変化を感じ取る人が何人もいた程です。「みぃちゃん雰囲気変わったね」「みぃちゃんが最近話しかけてくれるようになったよ」など。

成長を待つのは時にじれったく面倒な時もありますが、過ぎてしまえば一つ一つが良い時間だったなと思います。たいがいのことは成長を待てば良いだけだった、というのを育児歴12年目の今は感じます。成長のペースが同級生たちとズレていると本当に四苦八苦するのですが、この子はそうい子なんだと思って「普通は」ということを押し付けない。そうすると結局親も楽になる。それが出来る様になったのは長男とみぃのおかげです。わたしから「当たり前」を少しずつ緩めてくれたこども達には感謝感謝。

最近、むかしのわたしに言いたいなと思うことがたくさんあります。

『大丈夫だよ。ゆっくりゆっくりでいいよ。本人のペースに合わせて行けば、後から追い付くよ。』


※写真は、みぃがiPadに指で描いた縄文時代。


※この記事は、2019年9月に書いたものです。そのまま公開します。今は中学一年生です。



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