見出し画像

熊本県知事と米国での天才の受容

 昨日はてなブックマークをみたら前の熊本県の蒲島知事の東大時代の手記が公開されていて、ご自身で書かれたドキュメントとして大変面白く読んだ。

 その出色の経歴は色々なところで触れられているので、よそを見れば良いと思うのだが、この記事の中で圧倒的違和感を感じた点がある。それについてざっくりとした話をまとめてみたいと思う。
 なお、蒲島知事のご経歴はWikipediaにもよくまとまっている。

 先程の僕が感じた違和感というのは以下の点である。

  • 大学の学部、修士、博士で全部学位が違う。日本だとかなり面倒そう。

    • 学部:畜産学

    • 修士:農業経済学

    • 博士:政治経済学

  • 米国の大学院の奨学金、いくら優秀とはいえ、外国人相手に気前良すぎる。

  • 米国の大学しか出ていないのに日本の大学にいきなり講師で戻ってこれる時代があった。

  • 蒲島知事の東大時代の記事には高校卒業から渡米して、その後の英語になれる苦労が一切触れられていない。普通の人は英語になれるのに苦労したとか書かれていることが多い。

 ご本人が異常に優秀な方で、学部、修士、博士でキャリアチェンジをして、そのたびに優秀な大学に移っていき、そして 博士論文を出したらすぐに筑波大学の講師になるあたりなどは今の大学ではちょっと考えられない のではないだろうか。しかし、その後はこの位の優秀な方であれば特に違和感のない経歴であり、その能力を以て熊本を大いに盛り上げたことは正に称賛以外の何もふさわしくない。
 しかしここではこれらの蒲島知事の優秀さとは別の、天才の受容のされ方について日本とアメリカで差異を感じたのでここでそれをまとめておきたい。

僕の見たアメリカ

 以前、自分の自己紹介で自分の経歴について触れたが、僕は多分普通の人よりは色々な国に行ったことがあって、少ないながらも大体これまで20か国くらいの国に行ったことがある。
 ただその中で米国はまだ2度しか行ったことがなく、他のアジア、中東、欧州、アフリカの国々に比べてあまり知見がない。とはいえ、この2回の渡米もビジネスでいったものなので、ある程度現地の社会情勢などについては見聞きしたり、思い知ったりした。
 すでに多くの人がアメリカというのは仕組みづくりが大変うまい国であるというようなことをいわれているが、それは僕もその通りに感じた。スーパーマーケットにしろ、レストランにしろ、ホテルにしろ、それぞれの従業員の動きは標準化されている。思えばこういったような標準化された働き方というのはフォードがT型フォードを開発したときに編み出されたものにその源流が辿れるように思う。そして実際にこれまでの僕のJTC僻地工場での経験から言えるのだけど、T型フォード以前に支配的だった、一台の車を作るのに、車の周りに人が集まってくる方法と、所謂ベルトコンベヤ式という作り方だと生産台数が簡単に2倍以上になるし、下手をすると10倍くらいになる。これは同じ時間、同じ人員をかけてこうなる。今では製造業界隈では一個流しとか言われるやり方なのだが、アメリカが世界を変えた一例である。
 一方で、何か仕事をしていると例外が必ず発生するのだが、可能な限り例外に対処したマニュアルを作りこむようだ。それでも残る例外については人間が処理するという考えのようだった。そうすると例外的な仕事をする人とそうでない人でスキルの差が出てくるわけで、それがどうやら賃金が上がっていくときの基準になり、更には賃金格差につながっていくみたいだった。これは実際に現地で会社やってる人から聞いたことなのでそれ程間違ってないと思う。

日系アメリカ人研究者

 日本出身で日本国籍を離れた人、または、日本にゆかりのある人物がノーベル賞を受賞し、それを喜ぶ様子を見た一部の人たちが、彼らはもう日本人ではなく、日本が凄いわけではないとかいうのをいうことがあり、一種の風物詩のようになっている。ちなみに、 元日本国籍の日本人ノーベル賞受賞者は今のところ全員現在アメリカ国籍だ 

例えば、南部先生や真鍋先生はキャリアのそれなりに段階からアメリカで研究をしており、恐らく研究資金を取りやすくするためにグリーンカードを取り、その結果アメリカ国籍を与えられたという経緯であろうと思う。
 ここで注目したいのは、 元々は日本で生まれた理系のノーベル賞受賞者は全員アメリカに国籍を移している点であり、他の国ではそういった事例は見られない 。日本以外にも同じような事例はいくつかあり、例えばアインシュタインをはじめとする第二次世界大戦あたりにドイツを追われた研究者はアメリカに移っていたりする。
  どうやらアメリカというのは研究者を輸入する傾向がある みたいだ。

アメリカでの天才の受容

 さて、蒲島知事のことに話を戻すと、蒲島知事のような人が日本に居続けたとして、果たして今のような仕事をしていただろうかというと、どうもそうはならなかったように思う。そこには色んな分岐点があるかと思うが、まず大学に入るときの資金が日本の大学だったら出なかっただろうと思う。ご本人の記述を見ると、随所で奨学金に助けられたと書いてある。

初年度の成績がストレートAでしたので、特待生となり、授業料が免除されいくつかの奨学金を貰えることになりました。

私が学問に目覚めた時

ハーバード大学に願書を出したときに、家族がいるので奨学金がなければ行けないと明記しました。政治学を履修したこともない貧乏な外国人を、いきなり博士コースに、それも奨学金付きで入学させてくれたハーバード大学にはいまでも感謝しています。

私が学問に目覚めた時

果たして日本で日本人学生として勉強をつづけたときにこんなような充実した奨学金制度がえられたであろうかというと、恐らくそういうことはないと思う。日本の大学の授業料免除や奨学金制度はそれなりにシビアである。また、アメリカで外国人留学生を積極的に受け入れ、奨学金を出す事情があったのかもしれないし、アメリカ以外でも大学院生にはそのくらいの待遇が与えられることもあるので、その辺はある程度割り引く必要があると思う。しかしいずれにしても日本にいたままでは今のようになっていなかったのは確実で、 蒲島知事の高等教育はアメリカにより賄われ、日本で実績を残した という構図になる。
 また、日本の事情と異なるのが選考がかなり変わってることで、日本では修士から博士に行くときに大幅に専攻がかわることはあまり考えられない。色々な事情があるのは知っているが、こういう自由に専攻を変えても特に支障にならないことが結果としていい方向に作用したように見える。ただこれもご本人の実力があってこそのことであることはいうまでもない。

米国と日本の帰化要件の違い

 アメリカはどうやら研究者を輸入したり、優秀な外国人に優しいというのを改めて調べたわけだが、それはグリーンカード取得の要件と日本の帰化要件の違いにも表れている。
 日本の帰化要件では日本に帰化する意思があり、悪いことをしなくて、日本に長く住んでいれば帰化できるような記載である。そしてこの中に特段の特殊事情は書かれていない。

 一方で、アメリカのグリーンカードの要件には、アメリカに投資しているとか、高度なビジネス経験があるとか、高度な学識を持っているといった用件で申請できるものもある。その中の研究者としての要件はこっちにある。

 これは ある意味で優秀な人間は差別するといっているに等しい ことで、日本のように平等であることがかなり強く意識されている国では難しいことだ。特にこれが官庁の公式文書のレベルで記載されているのはそれなりに意義が大きい。
 つまり、アメリカは才能のある人間を特別扱いする国と言える。
 一方で、日本はどうかというと、あくまで優秀な外国人であろうと帰化申請の要件通りのことが求められる。そして日本の天才たちは周りの人々と共に生きて、多くの場合は在野の人として過ごす人もいるのではないだろうか。日本においては恐らく地頭がいいという人間でも特別扱いはされないし、あいつ地頭がいいっていわれて調子こいてるよくらいの扱いを受けるのではないだろうか。
 一方でアメリカでは天才というのはいろんな人たちの手により見出され、サポートされ、更には国からも補助を受けながら自由に研鑽を積んでやがてその才能が開花するという事情があるようだ。そしてそういう制度にまで踏み込んだ天才を受け入れる風土が今日の隆盛に至った要因のように思える。
 人間一般的な心情として自分の組織には優秀な人が来てほしいものだが、それを制度にまで落とし込んだアメリカのありようというのは徹底した仕組化というアメリカの文化のようなものの結晶のようであり、それは日本的機会の平等とは全く異なる考えに見える。しかし、一方で、能力のあるなしに応じて機会を与えるという考え方のようにも見えて、ここは 平等というのをどういう尺度で考えるのがよいかという考え方の違いとか、文化の違いのようにも思える 。ひとことでいうと平等の評価の重みづけの違いともいえる。

まとめ

 この話に特にオチはなく、アメリカは人口の移民国家であり、自分たちの国をより良い国にするために外国から優秀な人を集めようという意識があるからそういう制度になってるのだとかいうつもりもない。それはもう少し調べないとわからないことだし、今日のアメリカ国民がその考えに共感しているかもわからない。ただ国によりそういう違いがあるのだなというなんというか、文化の違いのようなものを感じたのでなんとなくキーボードを叩いてみた。そもそも僕がアメリカ人として生まれて、ぼんくらな人間だったとしたら特に周りからも顧みられず、貧乏なおじさんとして生きていたのは想像に難くないのであるから、どちらがいいということもない。
 ただ日本で不遇をかこっていると思っている能力のある人はアメリカに行ってもいいのかもしれないと思ったりした。アメリカは牛肉がおいしくていい国だと思う。

補足 現代版日本の頭脳流出とノーベル賞

 真鍋先生がノーベル賞を取ったときに、日本の頭脳流出というのが話題になった。研究資金を日本では集めるのが難しかったので渡米し、研究をつづけたっていうやつだ。
 ただ、僕が調べた限りそれはちょっと違うといわざるを得ない。主に2つの観点から反論が組み立てられる。

  • 真鍋先生が渡米したのはどうやら1958年で、日本の高度経済成長が本格化するちょっと前のことであり、どうもその時代も研究資金は乏しかったらしい。頭脳流出といえば頭脳流出だが、 今日典型的に言われるバブル崩壊後の景気低迷による研究予算の縮小とは文脈が異なる 。 眞鍋淑郎 - Wikipedia

  • 真鍋先生はスマゴリンスキーという数値流体力学の分野の泰斗に呼ばれる形で渡米したといわれる。スマゴリンスキーは今の時代の乱流の数値計算でよく使われるLESという計算手法の問題点を解決する乱流モデルを開発した人物で、流体の数値シミュレーションをやるときには必ず通るものである。よくスマゴリンスキーモデルと言われる。このスマゴリンスキーから声をかけられて渡米しない流体力学の研究者はいないわけで、単純にレベルの高い研究環境を求めて渡米したものと思われる。僕ならスマゴリンスキーに呼ばれたら何をおいても渡米すると思う。Joseph Smagorinsky - Wikipedia 

ちなみにスマゴリンスキーモデルの元の論文はこちらで、気象関係の月報に掲載されている。月報でこの品質のものが出てくるのだからアメリカというのは恐ろしい国だ。


 もし僕の記事が気に入ったらサポートお願いします。創作の励みになりますし、僕の貴重な源泉外のお小遣いになります。そして僕がおやつをたくさんかえるようになります。