2年近くニートだった僕が2ヶ月間の短期派遣で得たもの、感じたことなど。

2ヶ月前、僕は本当にお金に困っていた。当たり前である。ニートだったからだ。3月の終わりまでに10万が必要だった。なぜニートだったか。もともと2年前まではバイトをしていたのだがそのバイト先での人間関係があまりよろしくなく結局、半年くらいでブッチした。そこから少し鬱状態になり働く気が起きず、月日は、時間の流れは当たり前のように過ぎ去り気づけばニートになって2年以上経っていた。流石に焦る。このままこの生活を一生続けていけるわけがない。そもそも時間はあってもやることがない。しかし時の流れが時間の流れがなんだかんだで解決してくれることもあり、幸い鬱状態からはほぼ脱出して外に出るのは苦にないくらいのところまで回復していた。

ではなぜ10万必要か。

昨年12月ごろ僕は競輪にハマっていた。これがよくない。競輪についてもまたいつか書こうと思う。最初はビギナーズラックで程よく稼げていた。でもやはり回収率というのはいつまでも100%以上を維持できるわけがない。維持できるのは本当に一握りのプロのギャンブラーだけだ。日に日に負けは続き2月の終わりまでで20万くらい負けていた。10万は分割にして払うことにしてあとの10万は三月の終わりに引き落とされることにした。しかしながらニートなので引き落とされるはずの10万など持ち合わせていない。

冒頭にも書いたように流石の僕でも焦った。まず最初に履歴書を書いた。家の近くのバイトに応募しようとしたが、大体のバイトは月末締め翌月15日払いなので三月働いた給料は4月15日に振り込まれることになる。これでは間に合わない。しかもバイトだと僕の住んでいる地域は最低賃金に近く、フルで働いて10万いくかいかないかくらいのところがほとんどだった。もう迷っている期間など残されていなかった。2月の最後の週の月曜日に覚悟を決めて時給も高くワンルーム付き家賃無料の短期派遣に応募してみた。ネットで工場の派遣はきついなど否定的な評判を目にしていたがそんなこと考えている場合ではなかった。正直受かる気がしなかったが、頻繁期でとにかく人が欲しかったらしくなんと応募して2日で3月から働くことが決まった。割とマジで奇跡だったと思う。派遣なので履歴書も必要なく、面接といった面接もなくただ担当者の指示に従いながら働く準備をしていった。本当に運がよかった。ツイていたと思う。

一人暮らしは初めてだ。結構楽しみにしていたとは思う。2月の最後の一週間、僕は昼夜逆転を治すことに徹底していた。日勤だったため朝の8時過ぎには出社しなければならない。いつも昼過ぎに起きていたニートだ。起きて働けるわけがない。とにかく一般人のように生活リズムを戻さなければならなかった。結局生活リズムを治すのにはギリギリ間に合った。2月最後の日には8時に起きることができるようになっていた。しかし起きているだけではダメなのである。起きることができてそこからスタートなのだ。工場なのでずっと立ち作業で立っていなければならない。自分は2年間寝ていたニートである。筋力も落ちに落ち8時間立っていることができるとはとても思えなかった。

勤務初日。

10時に寝て6時にアラームをかけておいた。早めに寝たのだがやはりぐっすりとは眠れず、安眠とまではいかなかった。ちなみに自転車通勤だった。初日から雨。雨は苦手だがそれでも遅刻するわけにはいかない。カッパを着て職場に向かった。着いたら自分のほかにもう一人、同じ時期に応募して一緒に働き始める方がいた。

ついに2年半ぶりの社会復帰である。

午前中は講習を受けた。ねじ締め作業の練習もしたが全く出来ず、午後から梱包補助をすることになった。その日はラインが動き始めたばかりでラインのいる人みんながまだ慣れてなかったらしく、定期的にラインが止まっていた。僕の仕事はというとラインから流れてきた保証書を袋に入れるだけ。入れる袋にも番号があり間違えないように気をつけるだけでよかった。たまに海外製品が流れてくるとキーボードも入れないといけない。これがなかなかめんどくさかったが比較的に仕事内容は楽なものだった。ここもツイていた所の一つだ。しかし初日なので立っているのがきつい。午後2時くらいからすでに足に疲れがきていた。


やめだやめ。こんな長くてどーでもいい文章を誰が読むんだよ。もし面白いと思って読んでる方だったらごめんなさい。

この文章はもともと契機満了後すぐに書いていたものだったが、足が疲れていた。のところで寝てしまい、続きを書こう書こうと思っていたら今に至ってしまった。そして1ヶ月も経てば、記憶は薄れていく。あの頃感じたことを、文章にはもう残せないかもしれない。

いつかこんな言葉を聴いたことがある。

どこに行っても、どこに進学、就職しても、出会いだけは、出会いだけは皆平等に訪れる。と。

僕はこの考えが好きだ。どこの大学に行くだとかどこに就職するだとかそんなことは置いておいて、出会いだけはみんな平等に訪れる。

その出会いはある意味ガチャみたいなものかもしれない。いい出会いもあれば悪い出会いもある。

ニートだった僕が2ヶ月間、残業が4時間あって帰るのが夜の10時になっても毎日休まず働けたのは、職場の人間関係が良かったからだ。これに尽きる。本当にいい人しかいなかった。

最初から丁寧に指導してくれた28才の梱包のお兄さん、ミスを発見して褒めてくれたおばさん、ミスをしても怒らず丁寧に対処してくれたライン外社、リーダー、工場長、めっちゃ髪を派手にしていた女の子たち、謎に自分の人生論を語ってきたおっさん、ハコ磨きをしてるとき話が常に面白かったおっさん、自分の補助をしてくれたパートのおばさんたち、チャリがパンクして帰れなくなったとき家まで送ってくれたおっさん(これは本当に助かったし、人の暖かさを感じた。)、バンドリの話で仲良くなれた男の子、競艇の話ばかりする面白いおっさん、そして最後に一緒に入った同期(勝手にそう呼んでいる)お兄さん?(年齢は結局わからなかった。)みんな、みんな本当にいい人だった。ありがとう。みんなの幸せを願っています。これがこの文章で一番書きたかったことだ。

最後に書いた同期の方とは休憩時間も話したり、仕事最終日も仕事が終わった後ギリギリまで話して連絡先を交換するまでに至った。なお交換したものの結局一回もLINEしてない模様。しかし契機が終わり最後に自転車の駐輪場で話していた時の感情は感慨深いものだった。残業の多さで疲れている時に休憩時間で好きなAV女優の話をしたり、(誰が好きだったかは忘れてしまった、、)そんなたわいもない時間にも自分は幸福を感じていたように思う。

働いてよかったと、勇気を出してよかったと思った。

まぁ今現在も絶賛ニート中+稼いだ給料は全部借金返済に使ったため今もピンチなのだが。

ちなみにタイトル2ヶ月間で得たものは、んーなんだろう。給料と言っても当たり前すぎるし、無難な回答を書いておくなら体力だろうか。足の筋肉はめちゃくちゃついたと思う。(毎日平均10キロ歩いていたから当然だ。保証書を入れてるだけでは?と思ったそこの読者。三月の終わりに仕事内容が変わったのだ。仕事量は5倍くらい多くなった。)

この仕事内容が変わった時に引き継ぎ指導をしてくれたお兄さんもいい人だった。結構休みがちな変わった人だったが、すごく忙しくて大変な仕事を一人で続けていけるか不安ですと言ったら、「まぁ気楽にやることですよ。」と言われた。この言葉に意外に救われた。気楽にやる。これって意外と大事なのかもしれない。


最後になるが本当にお金以上の給料以上の経験、出会いができたと思う。この先もずっと忘れないような大切な思い出をつくってくれた僕と関わってくれた全ての方々にもう一度感謝します。

ありがとうございました。





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