深刻な問題。
また、一人の偉大な人が亡くなった。
私の尊敬する人で、とてもカッコいい人。
その人との出会いは、
とある、シンポジウムで出会った、
身体障害者の女性である。
その女性は、電動車椅子で、
喋るのもゆっくりじゃないと出来ない。
だが、とても頭が良く、
聞き上手で、話し上手。
話してると、とても楽しくて、
よく遊びにでかけていた。
ある日、その女性から、
お願いがあると真面目な顔で言ってきた。
つまりだ。
障害のある男性って、性欲と言うものを、
風俗でなんとか処理してもらっていた。
だが、
その当時、女性専門の風俗はなかった。
その女性は、ふつふつと、自分の性欲を、
どう処理すればいいのかが問題として、
存在していて、どうすればいいのかが、
考えても、考えても、わからないと言う。
恋愛もそうだ、健常者と付き合いたいが、
重荷になりたくない。
でも、同じ障害者と付き合ったら、
もし何かあったら、助けられない…。
だから、今までそう言った事を、
避けてきたし、諦めてたし、知識も、
全く知らないから、悩んでいた。
それでだ、
恋愛感情なしで、抱いて欲しいと言うのだ。
おい!
オレを性欲のはけ口にすんなよ!
そう言うのは、大切な人とすれ!
オレ、そんな軽い人間ではない!
と軽く叱ったが、女性の気持ちもわかる。
困ったな…そりゃそうだよな!
こればっかりは、どうしょうもない。
体が動かないだけで、それ以外は、
中身も頭も、一般的な女性なのだ。
憧れもあるだろう。
違う身体障害者の男性が、
風俗で、いつも演技されている様で、
本当なのか、わからない。
だから、風俗嬢ではない女性と、
やってみて、どうなのか知りたいと、
悩んでいたのを思い出した。
ここ、日本はまだまだそう言うのが、
発展していない様に感じる。
話は女性に戻る。
私は、
君の意見はわかったよ。
でも、協力は出来ない…すまん。
これは、難しい問題で、軽く考えるべきでは、
ないし、もっと、もっと、大切にするべきだ。
君には、魅力があるから、もっと自信を、
持っていいぞ。
君に見合う、男性が必ず見つかるよ。
決して、恥ずかしい事じゃない。
それより、もっと発信していくべきだ。
君みたいに、悩んでいる人達はたくさんいる。
君には、それができるはずだよ!
知識だって、そこで知れるし、出会える!
そう助言しか、できなかったが、
女性は、なんだか吹っ切れていた。
そうだね!その通り!
私みたいな人はたくさんいるものね!
あなたに、話して良かった。
恥ずかしがらないで、もっと、
発信していって、交流して、
意見交換していけたら、いいな。
女性の行動力は、とても素晴らしい。
すぐに、自ら発信して、交流の場を設け、
なんと、彼氏を作ったのだ。
相手は、女性より軽度の障害がある人で、
彼女のたくましさに惚れたとのろけていた。
それから、数年後。
二人は結婚した。
そしたら、彼女が出産すると言うのだ。
なんだか、感極まって、なんで言うか、
すごく神秘的で感動して泣いて喜んだ。
産まれた子は、
とてもしっかりしてて、子どもの頃から、
両親が車椅子状態なのを、なんの迷いもなく、
手伝ったり、甘えたり、と何の変わりもない、
真っ直ぐな素直な優しい子に育っていた。
彼女が心配していた、相手も障害者だと、
苦労すると言うものは、ないのだと実感した。
数年後、彼女より、その男性の方が亡くなった。
たくさんの人達に囲まれて、励まされ、
この世から、いなくなったのだ。
彼女はなんと、子どもを3人産んでおり、
子ども達が側で彼女を見守ってくれていた。
彼女の様な考えの人はたくさんいる。
特にその親御さんだ。
子が障害者となり、自分達が先に天に召され、
取り残されたら、障害者の我が子はどうなる?
と不安な気持ちでいるのだと思う。
過保護になってしまう方もいる。
子にそういった感情は捨てなさいと言う。
でも、一人の人間なのだ。
恋愛だって、結婚だって、自由であるべきだ。
たとえ、障害があろうとも、
その感情を捨てる必要性は、
全くないと思うのである。
彼女は、そんな人達の為に、
発信し続けて、交流を続けていた。
そんな、彼女の背中を見てきた子ども達は、
彼女に似て、勇敢でたくましく、強い心を、
持って、自信に満ち溢れているのだ。
今の福祉はどうですか?
そんな、性に関してどうお考えなのでしょうか。
あの時、彼女が私にお願いしてきた事。
苦渋の選択の末に、勇気ある発言だと思う。
私は、そんな人達が、
今も悩み苦しんでいるのではと、思うのである。
話はガラリと変わります。
これは、私の勝手な思考であり、
ひねくれ者のたわごとだと、思って欲しい。
昨年、今年とオリンピックがあった。
みなさん、注目していて盛り上がって、
いた様に思える。
私はテレビを見ないが、会話が聞こえるのだ。
閉会式が終わり、
あーオリンピックも終わったな…。
なんて、声が聞こえてくると、ん?と思う。
なぜなら、パラリンピックが始まるのに、
誰もそれには、興味も持たない。
なぜ、盛り上がらないのだ?
同じ様に、パラリンピックに向けて、
頑張ってる人達がいるのにだ。
障害が、あっても、なおそれをバネに才能ある、
人達がたくさんいる。
なぜ、みんな、パラリンピックには、
興味を示さないのだ?
私は、この現象が不思議でならない。
やはり、障害者の関心のなさ加減が、
露わになる、出来事であり、それが現実。
あの、女性の様に、発信して、交流を、
持っても、多分…無理だろう。
シンポジウムなんて、名だけの偽善だった。
こればっかりは、
本当に深刻な問題である。
あの女性が亡くなったのは大きい。
とても、勇敢で真っ直ぐな人だった。
退院したら、
会いに行きたい場所が、また一つ増えた。