作文
こうやって、noteをやっていますが…。
私の中で、文章を書くのは向いていないと、
避けてきてました。
不器用なひねくれ者の私が、文章なんて、
SNS嫌いで、メールも危うい。
無知など素人の私には不向きだと思ったのだ。
だが、3月から始めて、今に至ります。
心の優しい人達に、
何度も救われて、助けられてます。
私は、あの方が、いないとここまで、
いなかっただろうと強く思います。
ふと、小学校に話は変わります。
国語の授業で、作文を書く事があった。
つまり、近くに参観日があるから、
親についての作文を書いて、親達を、
泣かせちまおうみたいな、作戦だったのだ。
まず、先に言いますと…。
私には、かあちゃんがいて、母子家庭です。
そして、かあちゃんは、耳が聞こえません。
さらには、かあちゃんは行事に参加しません。
弁当すら作らない人なんです。
そこが、かあちゃんらしくて好きなんですが…。
作文に戻ります。
はて?かあちゃんの事を書けばいいのか?
自慢ではないが、国語は苦手です。
もちろん通知表には、悪い事しか書いてない。
ひねくれ者のかなりの問題児でした。
先生は、家族の人達に感謝の気持ちを、
書いて、参観日に読んでもらうよ!
きっと、みんな喜ぶと思うなー!
頑張って書いてみよう!
とみんなに言っていた。
えーっと…かあちゃんは絶対に来ないぞ。
しかも…もしかあちゃんが来たとして、
作文を読んだ所で、聞こえないんですけど…。
だから、なんの意味がないではないか!
と参観日なんて…なければいいのに!
ふん!なんだよ!バカバカしい!
とひねくれて、作文が書けなかった。
悩んで、うーんと唸ってみた。
そして、
題名は、かあちゃん。
学年と組と名前を書いただけの、
白紙の作文用紙を、先生に提出した。
先生に、こっぴどく怒られた。
だけど、小学生でも、意地はあるんだ!
先生に、何度も書いてと、
言われても頑なに書かなかった。
参観日当日。
親達が集まってきた。
みんな、感謝の気持ちを作文にして、
読んでいた。
先生は、私の名を呼ばなかった。
そりゃ、白紙の作文用紙だもんな。
意地張って書いてないんだもん。
でも、私は手を上げる。
先生が驚いた顔をしたのを今でも覚えている。
私は、勝手に立ち上がり、くるりと、
親達がいる目の前で深呼吸する。
やっぱり、かあちゃんはいないみたいだ。
でも、私は言葉と手話で、
かあちゃんに対する感謝の気持ちをあらわした。
ここに、かあちゃんがいるかもしれない。
そう思って、かあちゃんに向けてやる。
私の中で、作文は白紙ではないのだ。
先生やみんなには、
ただの白紙にしか見えないかもしれない。
だが、その作文用紙には、
私はなりの手話での気持ちを詰め込んでいた。
おもに、かあちゃんの苦悩や困難。
それに対しての感謝の気持ち。
そして、それでも、私を愛してくれている。
そんな、かあちゃんが大好きなんだ的なモノ。
それを、同級生の親達の目の前で、
手話と言葉で感情豊かに、
優しく伝わる様に心がけ伝えたのだ。
伝え終わると、深く頭を下げた。
そして、教壇を見ると、
先生が号泣していたのである。
それに、つられたのか親達も、泣いていた。
私は不器用でひねくれ者である。
手話じゃないと、文字が書けない。
その後、白紙の作文用紙を、
かあちゃんに、見せて、
同じ様に手話と言葉で授業よりも、
もっと、感情豊かに、大げさにつたえた。
そして、かあちゃんは泣いていた。
ここで、タネあかし。
さすがに、同級生の前で、手話を使って、
作文用紙を書くのに、抵抗があったのだ。
恥ずかしかったし、仲間外れになるかも…。
と脳裏に浮かんで、書けませんでした…。
だって!そうでしょ?
はたから見たら、ちょっと距離置こうって、
子供こごろには、思うはずである。
それなら、当日に手話と言葉でいいや。
と私なりの秘策だったのだ。
今もその形式は変わらない。
このnoteを書く為には、手話をおりまぜて、
やっと完成するのだ。
思った事、感じた事が、言葉よりも先に、
手話で、あらわされる。
今は病院に入院中である。
小学校時代は、恥ずかしかったけど、
今は、カーテンで仕切り、
色んな表現を手話でやってみて、
しっくりくる、言葉を探しているのだ。
手話だと、言葉が湧いてくるのだ。
そして、このnoteに文章を残している。
だから、たまにおかしい表現もあるかも、
しれないし、理解できないのもあるだろう。
変な区切りになっていたりする。
でも、それが私で、私なりの表現のひとつ。
かあちゃんから、受け継がれた、
私の文章の書き方の方法。
なので、これからも、手話を使いながら、
変な流れの文章を書き続けるだろう。
実際当時、小学校の作文用紙には、
書ききれないほどの手話をつかっていた。
だから、後から白紙にしといて、よかった…。
と思えましたよ。
だんだんと、文章を書くのにも慣れてきて、
ちょっと変わってきたかもしれない。
でも、根本は変わらない。
いつか、あの時の先生や親達の様に、
心を打つ、作文と言うか文章を書ければ、
いいなーなんて、
思ってしまったり、しなかったり。
かあちゃんの子供でよかったと思ってるが、
まだまだ、偉大なかあちゃんには届かない。
参観日の私のやり方は、ズルかったな。
完全に泣かせにいった部分もあるもん。
でも、作文の形式は、一つじゃないって、
みんなに教えたかったんだよな…。
読んでも、聞こえない人がいるんだもん。
文字を知らなくて書けない人だっているよ。
当たり前だと思わないで欲しいだけだよ…。
うむ…ひねくれた、密かに、確信犯な、
おバカなりの、いたずらっ子な、私であった。
今思うと、よくやった!と褒めてやりたい。
私のnoteを書く前の小学校時代の出来事。
そこから、私の文章の形式は変わってない。
手話を使って、言葉をうみだし、
やっと文章として、成り立っているのだ。
noteは、作文用紙みたいに、文字数が
決められて、いないのが救われる。
やれやれ、小学生から変わってないなんて…
そろそろ学習すれよ…と私にツッコミたい。
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