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アルコール依存症

この言葉を初めて聞いた時、
かあちゃんを思い出した。

幼少期から、
かあちゃんは酒に溺れていた。
常にお酒を飲んでいた。

そこには、
耳が聞こえない中、誰にも頼らず、
私を養う為に仕事をしていたからで、

そのストレスを酒に頼っていた。

かあちゃんは、三半規管がうまく働かない。
なので、常にふらふら歩く。
夜になれば、左右上下がわからなく目をまわす。

なので、家でひたすら、
私の作った料理を酒のつまみにして、
ぐいぐい酒を飲んだくれる。

仕事の時のかあちゃんは機嫌が悪い。
だから、酒を飲むとタチが悪くなるのだ。

仕事が休みの日なんかは、朝から酒を飲む。
私は、絡まれるのが怖い…たけど逃げれない。

かあちゃんは私がいないと、
近所迷惑かけて、暴れて騒ぐのだ。

だから私は、飲んだくれた、
かあちゃんから逃げる事は出来ないし、
かあちゃんの側にいてあげたいと思っていた。

そして、毎日飲んで潰れた、
かあちゃんを布団まで連れて行き寝かすのだ。

ここまで、来るとかあちゃんは、
アルコール依存症なのだと実感する。

だが、当時そんな言葉なんてなかった。

かあちゃんの思い出は、
飲んだくれた、かあちゃんと、
泣いて暴れる、かあちゃんと、
暴力を振るう、かあちゃんと、
弱りきった姿のかあちゃん、
私に甘える、かあちゃんがほとんどだ。

それでも、
かあちゃんは不器用ながら、
私に愛情表現を惜しげもなくしてくれた。
すぐに抱きしめて、まっすぐストレートに、
私に愛情を言葉にして伝えてくれるのだ。

だから、かあちゃんが、
アルコール依存症だとしても、
私はそんな、かあちゃんも好きなのだ。

人間らしい、偽りのない、ありのままを、
貫くかあちゃんはズゴイといつも思うのである。

誰だって、人に良く見られたいと思うはず。

だが、かあちゃんはそんな事は考えない。

だから、だれかれ構わず、ケンカする。

キレイ事やウソやお世辞が嫌いなのだ。

だから、そんな相手にくってかかる。

かあちゃんには、鋭い感を持っている。
どんな人でも、その人を見たらなんでも見抜く。
その先に何があるかも、わかってしまう。

だから、かあちゃんには嘘やごまかしは通じない。

それで、何度かあちゃんに殴られて蹴られたか…。

だから、私も嘘やお世辞等が苦手である。
かあちゃんの影響で、
正直に生きなければいけなかったからだ。

その為、ひねくれ者に出来上がってしまった。

なので、うわべの言葉が嫌いなのだ。
人として、ずる賢さは必要なのだが、
それが私には出来ず、逆に正直に真面目に、
ならなければと不器用に生きてしまう。

だから、自然と相手と距離を取ってしまう。

ひねくれ者の私は、自分にも嘘がつけない。

それにかなり苦しむ事になるのだ。

だが、酒を飲んだくれる事はない。

社会人になれば、付き合いで飲みに行く事は、
あるが、そんなに飲まない。

乾杯の為のビールを飲んで、後はウーロン茶で、
その場をしのぐ。

それは、かあちゃんを見てきたからだ。

それは反面教師なのか…。

かあちゃんには、私がいたから良かった。

だが、私には誰もいないのだ。

その寂しさを紛らわす為に酒に頼る事はない。

家で飲む事もあるが、たしなむ程度を心がけている。

タバコも吸わない、テレビも見ない。

じゃぁ、何をしているのか…。

何もしていないのだ。

人を頼る事が出来ない私は、自分の中に閉じこもる。

誰にも、言わず我慢して自己嫌悪してしまう。

ただ、自分の不甲斐なさに涙するだけである。

悔しくて、悲しくて、一人孤独に泣いてしまうのだ。

かあちゃんゆずりの不器用で、
人付き合いをこじらせる。

頼る事が出来ないから、一人でもがき苦しむ。

そして、頑固者のひねくれ者に成り下がった。

だが、そんな私は不幸だとは思う事はない。

逆に、私は幸せ者だと感じている。

それは、かあちゃんに与えられた愛情からなのか、
こんな自分でも人間くさくて好きなのだ。

自分を偽る事が全てではないと思うからだ。

だから、偽る事はせずに生きれる事は幸せだ。

なんて、意味がわからなくなったが、

アルコール依存症イコール不幸だとは思わない。

かあちゃんは、私がいて幸せ者だと言っていた。

不器用だから、お酒に頼っていただけ。

かあちゃんとの生活は幸せだった。

かあちゃんがアルコール依存症だとしてもだ。

人によりけり、なのは百も承知です。

アルコール依存症だからと悪いイメージはない。

よく、かあちゃんは、
こんなかあちゃんで嫌だろ?とか、
かあちゃんはダメだね…。とか。

弱気になった、かあちゃんが言う事はあった。

そんな時は、大抵かあちゃんは泣いている。

だが、私は嘘でもごまかしでもなく、
かあちゃんの子供で良かったよ。
かあちゃんはダメじゃない。
かあちゃんが大好きなんだ。
かあちゃんの笑顔が見たい。
かあちゃんが喜ぶ顔が見たい。
と伝える。
本当にかあちゃんの子供で幸せだと思うからだ。

不器用で正直者のかあちゃんは、
とても素敵で素晴らしい人だと今も思う。

だから、そんな、かあちゃんを知ってほしい。

かあちゃんとの出来事をいくつも書いている。

そこには、切なさや苦しみはあるかもしれない。

それでも、そんなかあちゃんは偉大な人なんだと、

知ってほしいからだ。

今の私が生きているのは、
かあちゃんを語らないと表現できないからだ。

私の体の一部となって、
私という人間を作り上げた人。
私の中に生き続けている人。

それは、かあちゃんなのだ。

なんの偽りのない私を知って欲しいからだ。

そんな過去があって、人間くさいのが好き。

それが、私です。

なので、マザーコンプレックスだと思われるかも、
しれませんが、かあちゃんの事を書いてます。

気持ち悪いと思われる方いるかもしれません。

親離れ出来てないと思われる方もいるかも…。

ですが、私はひねくれ者なので、構わずに、
これからも、かあちゃんの事を書いていきます。

私の心の財産なのです。

なので、忘れない為にも、このnoteに記録します。

アルコール依存症と題名に書いといて、
全然違う内容になってしまい、すみませんでした。

アルコール依存症のかあちゃんのお話。

そんな、かあちゃんでも幸せだった。

それがあっての私と言う人間が作られたお話。

そして、これからも、かあちゃんの事を、
書いていきますと言う宣言のお話。

長々とわけのわからない事を書いてしまい、
こんな私で、すみません…。

ひねくれ者のたわごとにお付き合いいただき、
ありがとうございました。

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