沖縄県民投票の実施と米軍普天間飛行場辺野古移設問題


 本日はいよいよ、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設の是非を問う沖縄県民投票が実施される日となりました。

 ただ沖縄県民にとっての不幸は、これだけ毎日ニュースで沖縄の基地問題が取り上げられて問題視される割に、沖縄を巡る米軍基地の実態についてはあまり深く掘下げられることのない状態のまま、「いい・悪い」の議論ばかり繰り返されるような状況になってしまっている。

 もともと、在日米軍「海兵隊」の軍用飛行場として使用されている普天間飛行場は、約1万2000世帯の市街地に周辺を囲まれ、「世界一危険な基地」とも言われてその立地が問題となっていた。

 そうしたなか、1995年(平成7年)に起きた沖縄米兵による少女暴行事件がきっかけとなって、普天間基地の返還および、米海兵隊の一部ハワイへの撤退、あるいは全面的にグァムへと移転させるといった計画が進められていくようになる。

 事件後、日米両政府によって「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」が設置され合意が交わされることとなったが、しかし当初の段階では普天間飛行場に関しては「無条件撤退」ということで、現在言われているような「移設」というような話ではなかったそうです。

 在日米軍は日本全体で約3万6000人ほどいて、そのうち約2万5000人が沖縄に駐屯。
 沖縄にはアメリカ陸・海・空・海兵隊という全軍種の基地があるが、もっとも大きな存在が「海兵隊」で、沖縄にある基地面積の約7割を占有し、沖縄駐留の米兵約2万5000人のうち6割にあたる約1万8000人が海兵隊員となっている。
 つまり沖縄にいる大半の米軍が海兵隊員だということ。

 これはとても重要なことで、海兵隊というのは、戦時に海岸から上陸作戦をおこない、後続の大部隊のために陣地を確保したりする切り込み隊としての役割を負った部隊なのだが、しかし近年では第一陣で出発するような部隊ではなくなり、数ヵ月後に平定しに行くような部隊になっているという。
 だから実はもう海兵隊は米軍の中でも、世界中のどこに置いていても問題ないというような存在になっている。

 冷戦の終結後、米軍では、共産圏諸国封じ込めのためにその周囲に配置していた米軍兵力の削減や、対テロ活動への対応などのため、2006年以降に大規模な「米軍再編」を計画し、特に地上部隊の整理・改編が進められていくこととなった。
 日本においても、普天間飛行場の辺野古への移設計画に加えて、米海兵隊のうち8000人がグァムへ移転することなどが決定されたが、R・ローレス米国防副次官によれば、今回の米軍再編の本質は「極東・欧州離れ、中東シフト」にあるとのことで、だから沖縄海兵隊の移転も「海兵隊をインド洋方面に出動しやすいグアムに移すため」に決められたことだたっという。

 とすれば、在沖米軍の多くを占める海兵隊を、あえて沖縄県に留めておく合理性自体がすごく弱くなってくる。

 さらに、海兵隊が上陸作戦をするには、ヘリ空母などの強襲揚陸艦隊で移動させる必要があるが、じつはそれらの艦船は沖縄にはなく、長崎県佐世保の米海軍基地を母港にしている。
 そのため出撃の際は、それらの艦隊が長崎からくるまで海兵隊は沖縄で待っていなくてはならない。
 これも米海兵隊が"沖縄になくてはならない"という主張の妥当性に欠けるポイントの一つになってくる。

また、日本政府や保守派の人たちの主張では、米海兵隊の沖縄県からの撤退は、

「沖縄県を含む日本の安全保障を損なう」

といわれるのだが、ところがアメリカのほうでは、沖縄米軍の大部分を占める海兵隊は、日本のための安全保障上の抑止力ではないというのが、政府としての公式見解なのだという。

 海兵隊は広く太平洋地域に存在感を示す「太平洋プレゼンス」のために存在し、沖縄の海兵隊の主力部隊(歩兵、砲兵、航空)も6ヶ月のローテーションで米本国から派遣されてきて、2ヶ月ほどの訓練を経たのち、長崎県佐世保にある船に乗って、オーストラリア、タイ、フィリピンなどアジア太平洋地域の国々をめぐり、その国々の軍隊と共同訓練し、互いの信頼関係を高めていく。
 米海兵隊は、より大きなアジア太平洋地域の安全保障を支えるための「抑止力」として存在している。
 だから当然、沖縄自体を守るのが彼らの役割ではなく、実際、半年くらいは沖縄の外を出て活動をしている。

 米国防総省の国防政策審議会委員も務めるアンドリュー・クレネビッチ戦略予算評価センター所長は、
「沖縄にも駐留する海兵隊は強行突破が特性です。南シナ海の島の領有権をめぐって多くの国が争った場合に、ある島を占拠するなどの任務では役に立ちます。しかし、今後10~15年の間に仮に中国との武力衝突が起きたと想定したシナリオでは、海兵隊は大きな役割を果たすとは考えにくい。海兵隊はこの種の大規模扮装で大きな変化を生む存在ではありません。エアシーバトルも、第一には海軍と空軍の任務です」
と、朝日新聞のインタビューに答えて語ったが、ここでの「エアシーバトル」とは、アメリカの空軍と海軍の共同作戦で中国の脅威に対抗しようというもので、つまり近年の中国の軍拡に対抗するための抑止力としても、沖縄の海兵隊は主戦力たる存在ではないといっているのだ。

 しかも、その沖縄の海兵隊は最初から沖縄にいたのではなく、彼らは1950年の朝鮮戦争後に韓国に駐留した米軍をバックアップするために1953年に日本にやってきて、当初は岐阜県のキャンプ岐阜と山梨県のキャンプ富士に駐留をしていた。
 彼らが沖縄へと移ったのはその後の1956年になってから。
 しかし朝鮮半島有事に備えるための部隊がなぜ本土配備からたった3年で沖縄へと移動することとなったのか?
 当時の日本の社会状況を見ると、米軍基地に対する住民の反対運動があちらこちらで燃え盛っていたという。日米安保にも国民の厳しい目が向けられるなか、山梨県では、砲兵部隊が大砲の射撃訓練を始めると、地域の婦人らが演習場に乗り込んでいって、大砲の砲身にしがみついて訓練を中止させるすさまじい抗議運動が行われていたそうです。
 そしてそうした状況のなか、「日本から米軍地上部隊を撤去させるとの日米合意」にもとづき、海兵隊は沖縄へと移転していくことが決まったということです。

 だから、在日米軍基地については、日本の本土の住民たちも嫌がって猛烈な反基地運動を展開していたわけで、しかもこのころの沖縄はまだアメリカの施政下にあり、そういう意味では、当時の日本人が在日米軍基地を日本国内から国外へと追い出したというふうに見ることもできる。
 ところがそれが、今の沖縄に関しては"わがまま"だとか言われて批難されてしまう。

 沖縄の基地問題に関しては、これまでもう何十年とニュースで流され議論されながら、沖縄に駐屯している海兵隊がどういう性質の部隊かよくわかっていないままの人も多いのではないか。

【宮台真司氏が吠える 沖縄辺野古基地は100%不要なのに】 米ケツ舐めを続ける菅・安倍と外務省官僚

・「兵隊の基地には抑止力はない」
・「海兵隊は、世界中どこにあってもよい」
・「アメリカは、一部ハワイに、あるいは全面的にグァムに移転するという計画を立てていた」
・「そのアメリカに、沖縄から出て行かないでくれと頼んだのは、日本の外務省の官僚や防衛省の官僚」
・「SACO合意の段階では、普天間は、無条件返還だったが、そこから一・二年すると、いつの間にか、日本の差し金によって、無条件返還ではなく辺野古移設というふうに変えられてしまった」
・「1967年の段階でアメリカが持っていた辺野古新基地建設計画を、外務省が見つけ出してきて、日本のほうから、移設という枠組みを、提案してねじ込んだというのが、実態」
・「外務省は今や、”アメリカ・スクール”と言われるほど、アメリカに這いつくばることによって自分の権勢やポジション、ステータスを維持するような人たちがいっぱいいて、アメリカに這いつくばることによって自分のポジションが上がるという、この構造を変えたくない人たちによって、普天間の無条件返還が、辺野古への移設というような方向へと変えられていった」




まだ記事は少ないですが、ここでは男女の恋愛心理やその他対人関係全般、犯罪心理、いじめや体罰など、人の悩みに関わる心理・メンタリズムについて研究を深めていきたいと思っています。