見出し画像

『沈黙のフライバイ』と自由七科

「もしかして地球人って、銀河有数のおしゃべりなのかなあ」
(野尻抱介(2007)『沈黙のフライバイ』早川書房,49項9行)

 異星人のものとおぼしき人工衛星に地球の百科事典を送った天文学者等に登場人物の1人である「弥生」が言った文辞である。この文辞を気に入るに至るまでの時間は短かった。職業学業や他者の存在によって忙殺された日常と宇宙や銀河という現代人には想起しえない非日常の境界を突拍子もなく打ち砕いたこの文辞に一種恋心に近しい印象を胸懐に抱いたのは私だけではなかったはずである。同時に、洗礼された言葉遣いへの興味を脳裏へ焼き尽くすことになったのである。

 元来、言葉とは「凡(特別優れていない事物)」である。この凡なる存在を「非凡」に昇華させる手段が修辞学と文法学さらに弁証学であった。しかし、崇高な手段を獲得していても、手段の展開をするためのセンスがなければ、凡にも非凡にもなりえない「何かの存在」のままで終わってしまう。そこで必要とされるセンスとは、物質的・肉体的な美のセンスと言い換えることができる。物質や記号数列の壮麗な配置やそれらによってもたらされた身体や精神の感応的鼓動から着想を得たセンスは言葉を「凡」から「非凡」へ昇華されるための手段には必然と用いらなければならない。そして、そのセンスは数論・天文学・幾何学・音楽から習得できる。

 ここまでの「修辞学・文法学・弁証論・数論・天文学・幾何学・音楽」の七科目は古代ローマの雄弁家であるキケロが掲げた自由七科から意図をもって挙げたものである。中世ヨーロッパでこの七科は教養(英Liberal Arts)として学ばれていた。前三科を初級三学(羅Trivium)、後四科を上級四科(羅Quadrivium)と呼んでいた。

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?