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「一季」ⅱ.春は憂わしい

 これは「不安は虚空の中から生まれている説」を信じて、書き記す物語である。突拍子もないが、私は突発的偶発的に不安になる。いや、突発的偶発的はその時にそう感じるだけであって、元来もとを辿れば潜在的に断続的必然的不安に私は浸されているのだろう。何に対して不安になっているかは私の話を聞いていけばわかってくるだろう。自らの口で声にし、この不安を言葉にするのは新たな不安を身体に内在する知能と心理に助長するだけでなく、恥ずかしいという本能的な情緒を生み出す恐れがある。不安だ。不安でたまらない。この不安を取り除くためなら何だってしようと何度も思った。
ここまでに私は九回も不安と言ってしまった。また発してしまった。この話を始めるだけでも――は育成されるのだ。では、話さなければいいという方もいるだろう。しかし、私はその意を抑えてでも話さなければならないのである。これは義務とも私はとらえているからだ。誰かがこれに目を落とすとき、私は――になるだろう。あなたも共に――になるだろう。

 この感情にあなたは共鳴し共感を抱き、自らに内包する――と共存共生し、それらを縮小と解消をさせるべく共通解と最大公約数的解を見出さなければならない。さて、言いそびれていたがここにおける――とは、人間との別れと出会い、関係によって発生し熟成されるものである。家族、親戚、友達、同僚、先輩、後輩といった他者の存在は不変的かつ不可逆的な良質な時間と高貴な空間を創造し共有してくれる。それらは自らと他者のプラス的側面の掛け合わせによって誕生するが、一方、自らのプラス的側面と他者のマイナス的側面あるいは自らのマイナス的側面と他者のプラス的側面の掛け合わせによって――は発生し熟成される。

 別離と遭遇は同時に――となる、これを頼んでいないのに運ぶ厄介な春は始まった。

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