見出し画像

「一季(再編集)」ⅷ.経由駅

 あれは真に雲々なのだろうか。私には山脈に見える。太陽を後方に従え自らの存在を主張するあの脈々の陰影に姿を重ねた。冬将軍の到来をつげる澄み切った寒さの中、くっきりと姿を表した虚飾の山脈は太陽が昇るにつれてその様相を変えていく。それはそれゆえに一度たりとも同じものにはならない。
 混迷と不確実性にあふれる現代社会の時流のごとく灰色の雲は偏西風に吹かれどこかへ流れる。誰もがそのことを気に留めない。いっときの事象として見過ごし、記憶にとどめようとしない。
 ふと顔をあげると脈々はなんとも言えない淡いオレンジ色に染まり上がっていた。


 数多くの先人等は空を見て何を考えていたのだろうか。

2019年12月03日(火)05時39分

 寒さも気にせず極めて機械的な音が耳のそばで鳴る。非常にうるさい。起きたくない。寒すぎる。止める。いまだ羽毛を1枚2枚とはだきあげ、手足の伸びとともに寒さを肌で感じようとは思えない。しかし起床せねばならないのだから、前日に音を立てるように機械へ命じた自分がこのようなスケジュールで生活できると意気揚々としていた数日前の自分が憎い。
 うだうだ寒さに文句をいいつつスーツに着替える。大学入学から着ているこの大手量販店で購入したスーツはもう4年目。そろそろ買い替え時だろう。いい加減、安い黒色からは卒業をしたいものだ。
 冬の時期に大学4年生がスーツということに違和感を覚える人もいるだろうが、何ら不思議なことではない。私は塾講師がゆえに日常的にスーツを身にまとっている。しかし今日スーツを着ているのにはもう1つ理由がある。

同日06時09分

 まだ世のお母さんたちしか起きていない小学校近くの住宅街をかかとがすり減りだした革靴で歩く。10分も歩けば最寄り駅だ。
 埼玉と千葉を結ぶこの路線最後の未改修駅として存在感を微妙に高めていた最寄り駅は工事も一段落し、新しいホームでの運行を開始していた。
 十数年見慣れた駅はあとかたもなく消え、バリアフリーに対応した現代的な駅舎になっていた。瓦張りの平屋の屋根もカーブしたホームも、観賞魚のいない小さな人工池ももうない。もうそんなことを思う人もいないのではないかと思い馳せるうちに下り電車が2番線に進入する。

同日06時20分

 前から2両目、進行方向に向かって右側、進行方向側の扉横に自らの体を位置づける。俗にいう定位置である。この扉横にポジションをとることに嫌悪感を抱く人もいるだろうが、実はこの路線は右側扉が開かないのである。ゆえにこのポジショニング戦略は不特定多数の人からの嫌悪感を知らぬ間に抱かれずに成立する。電車に揺られていると外には太陽の日を浴びた雲がまるで山脈のようにそびえていた。

同日06時39分

 終着駅に到着。列車は1番ホームへ速度を落としながら進入。今日の運転手はブレーキが下手だ。電車の揺れが苦手な私にはなかなかに酷である。また揺れた。数度の揺れへいら立ちを覚えながら列車は時刻通り到着する。ドアが開く。終着駅のときのみ右側の扉が開く。すぐさまカバンを手に取り、競馬場で競走馬がゲートを飛び出すかのごとくに扉を勢いよく出る。
 ただ歩くのではなく状況を判断しながら効率的に歩く。次の針路方向に向けて右足のつま先を右斜め15度転回し一歩踏む、次に右後方の人ごみの状況を確認する。現状早歩きの人物なし。左足のつま先を右斜め25度転回しさらに歩みを進める。経験上残り3歩で階段だ。階段は右手から進入し、人ごみの隙間を判断しながら中央そして左へと移動する。前を進むサラリーマンの歩幅と自分の歩幅の最大公約数的数値を感覚的に算出し上手く隙間を作りつつ前進速度を速める。左後方の人ごみの様子がおかしい。どうやら他にぶつかりながら歩行する輩がいるようだ。プラン変更により右から中央への移動にとどめる。左後方の人物をアルファ、前方中央の杖をついた老人をブラボー、目の前をあるくサラリーマンをチャーリーとして注視しながら駅舎2階部分から改札への筋道をイメージする。アルファへの接触は極力避けることを第一として、基本的に大衆が選択しないであろう階段右の迂回ルートを選択。ミス。ブラボーも同様の発想で現状同じ経路である。けがをさせるわけにはいかないさらに迂回をする。定期取り出し、右手に準備。アルファ予想通り左ルートへ。チャーリー引き続き私の目の前を歩く。混雑ゆえに歩行速度緩む。このタイミングでチャーリーを抜かす。構内のドトール横を通過。ブラボーへの加害リスクゼロになる。改札が見えるここにきてアルファと改札通過経路が重なる可能性があることに気が付く。アルファ通過後に交差して隣の改札を通過。直ちに右側へ回避行動。直進経路を確保。前方の混雑状況を確認。混雑の隙間を抜けるジグザク走行開始。5秒後階段へ。意識下部へ。階段1段目を確認、全26段通過。右90度転回。歩幅大へ。ジグザグ走行継続。右手にJR改札を目視。右手の定期を確認すると同時に周囲の乗客を確認。改札で止められそうな人物を補足後、後方にならないように調整。改札通過。案の定、先の人物が改札で音を鳴らす。3番ホームへ急ぐ。発車時刻まで残り約1分。ジグザグ走行が展開できないほどに混雑。ホーム行きの上りエスカレーターへ。定期をバッグの奥へしまい込む。ホーム到着。直ちに後方へ転回し、7号車最後尾ドアの位置へ移動。

同日06時42分

 東京行快速、ホーム進入のアナウンス。快速列車が長い車列をある程度の速度を保ちつつ、風をまとって入ってきた。この風夏場は嬉しいが、冬となると意外にも身体の芯まで染みてくる。列車が止まり、音を立てながら扉を開ける。今日は比較的に空いていて降りる人が少ない。列に沿って電車へ入りこむ。快速列車では定位置など決めてられないが、基本的には車内の奥まで進み、次の停車駅で下車しそうな人を見定める作業に入る。4年も同じ鉄道に乗っていると誰がおりそうかなんとなくわかってくるものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?