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「一季」ⅳ.夏は戸惑い

 テストへ近付くと楽観主義が現実に取って代わる。そして自らの学習の場では、現実なるものはしばしば存在しない。存在するのは現実と似て非なる虚構である。さらに、無性に掃除をしたくなる。テスト前日になると特にそうだ。

 こういった危険的状況下で正確な判断と明確かつ逆算的行為行動が心にはできない。学習やスポーツにおいて、正確な判断をするためには現状把握と分析が、明確かつ逆算的行動をするためには綿密な計画と自己診断能力が必要である。

 しかし、これらは対外的成果を生成するためのプロセスに欠かせないだけであって、自己つまりは対内的成果を生成するにはこれを必要としない。

 対内的成果の対内とは、自己の精神と肉体、知能のことである。むしろ、対内的成果の生成には分析も計画も逆効果かもしれない。さて、対内的成果の代表例に挙げることが可能なのは恋愛であると言えよう。理想とする恋愛対象像にフィット(マッチではない)したAと付き合いたいとする。Aへ何らかの行動を取る為にAの感情や過去の行動の分析をしていては、それは恋愛ではなく心理学や行動経済学の学問になってしまう。さらに、X年Y月Z日までに付き合うと計画立てて恋愛を実行したら、己の感情と行動の一貫性が欠落し乖離してしまう。

 恋愛とは無の中で実行されるために、ふと恋愛とはなんだろうと思慮を巡らせた時に「あれ?恋愛したことあるのに巧く説明できない」となるのである。 

 そう考えると、シェークスピア『ヴェニスの商人』にある「しかし恋は盲目であり、 恋人たちは自分たちが犯す愚行に気づかない(But love is blind, and lovers cannot see the pretty follies that themselves commit.)」の「恋は盲目」とは非常に的をえた言葉なのである。

 では、そうなる前に最もフィットする恋愛対象者を発見するにはどのような意識が必要だろうか。テレビ番組にて聞いたが、恋愛において必要な意識とは「Feeling,Timing,Happening」であるらしい。勝手だが恋愛発生三要件と呼ぶ。

 若年期において経験する現実的三要件の成立は、現実ではなく虚構的三要件の成立である可能性が高いということである。恋愛経験変数が低い人間による初期の恋愛は、恋愛の実態を認知していない状態で進捗させられるためにこのような可能性を高めてしまう。いわば、ここにおける虚構とは錯覚、夢想、幻影、幻想、幻覚、桃源郷的、理想郷的である。

 テスト学習に追われながらそう考えていると、数学を教えてほしいというAが現れた。夏は近いのかもう解らなくなりかけて。

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