見出し画像

「一季」ⅰ.冬は虚しい

 学生時代のメモが見つかり、スマホのメモを整理する一貫という名目でnoteに移動する。基本的には美術館や博物館,塾講師の際の説明的文章にあった言葉を乱列させている。

 なお、写真は平成26年豪雪(2014年2月14日深夜)により自転車が漕げず、路頭に迷った際のもの。

一季本編

 素肌につんと、冷酷で人間性を奪い去るような気温が蔓延るホームから、いつも乗車するJR某駅八時六分発、総武緩行線中野行きに乗りどれくらい経っただろうか。記憶をふり返るものの思い出せない。しかし、記憶の堂々巡りをしているその最中にもあの映像は車窓というフィルムから映し出されていたのだ。

 脈々と聳(そび)えている、いや、あれは脈々と聳えているのではない。白き雲々が脈々のごとく流動的に存在しているのだ。時間と空間が刻々と過ぎ、その脈々は容(かたち)を変える。断じて同じ形質に留まれない揺らぐ脈々だ。揺らぐという点では、ホモ=サピエンス・サピエンスの心的変化と似ている。ただ脈々や雲々に当てて送られる、清浄、威厳、壮麗、美、麗、絶佳といった言葉を用いて侃々諤々と心的変数に関して論ずるのは難儀極まりない。論じようとすれば本音と建前が縦横無尽に駆け巡り本質、中核より視点・争点がぶれて、議論の解像度が悪くなる。難儀にも関わらず安易にも議論されてしまう心的変数の代表例がある。それは、他者に対して向けられる美しい、可愛い、格好いい、イケメンであり、ここには本えと建前の両者が入り乱れ、それらは安易なる戯言になっているかもしれない。さらに、戯言を向けらえる存在もまた虚像かもしれない。無機物の変数には実なる言葉をいとも容易く発信できるのに、如何なる理由があって有機物の変数に虚なる言葉を多く発信してしまうのか。

 このように考えると人間は難しい存在である。理性だけでは言葉発せないし、感性だけでも言葉を発せない。では、どのようにしたら美しく実なる言葉が醸成されるのだろうか。ときに安酒のように雑多に作られた言葉。ときに蒸留酒のように上積みだけをすくいとった言葉。どちらの言葉が人々の生活を支えるのに最適な言葉か。己の喜怒哀楽、煌めき、情感情熱、思慮熟慮、思考熟考、意見意思、批判批評、をだれかに伝えるために。

 カラッカラに澄み渇いた虚空に雲々が流れる厳しくも躍動的で誇張された冬の一日は始まったばかりだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?