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「一季」ⅴ.台風が持ち去る

 一瞬にして一蹴されたあの季節。あの一瞬の現在の構築のために、過去は一瞬にして崩壊し、人はその崩壊を予期,想起する。しかし、構築された現在もまた崩壊する。その崩壊を現在の私は予期する。その予期は未来なのである。つまり、崩壊の連続性により時間が存在するのである。まるで、ドミノのようだ。 

 やつがきた、ドミノのごとくバタバタと、人間社会の構築物体と日常生活を吸い取るやつがきていた。一方、同様にドミノのごとくバタバタと、人間関係の常識,観念と排他,集合を吸い取るやつもきていたことがある。やつは私の人間関係に変化を与えた。素晴らしく暖かみを備えつつも儚く冷たい変化,変容,変幻をもたらしてきた。これまでの常識や考え方といったパラダイムをシフトさせた。さらに、やつと私は持続可能な連関を想起し願いもした。あの一瞬も今は昔。

 心理的シンギュラリティをも迎え入れ、パラダイムシフトの流れに従い、感情を移入したあいつはもういない。過去の私を吸い取ってしまったまま消滅したあの存在を一刻も早く忘却しなければならない。マズローの忘却曲線が認められているにもかかわらず、私は忘却できない。恋愛が無意識無計画下で生成された記憶だということをすっかり欠落していた。無で生成された記憶の忘却は不可能である。なんということか、いや、しばし考えてみよう。そうか、逆に言えば、嫌悪的記憶になる可能性が高いああいった存在の記憶は思い出の初期段階に「覚えるぞ」と意識すれば忘れやすくなるのかもしれない。でもこれもまた矛盾だろう。

 結局のところ自然現象の台風にでも助けてもらわなければどうしようもなさそうだ。


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