記事途中で消えた、お久しぶりです

タイトル通り、11月ぶりの記事をルンルンで書いていたにもかかわらず、途中でパソコンがぱんっと飛びました。わーーーー。

お久しぶりです。卒業確定をいただき、来春から正式に社会人です。寂しい。

4年間は体感10秒でした。5Gにのって、入学式に戻りたい。

書きたいことは沢山有るんですが、今日は10代後半から私含めた20代前半女性あるある?を。

最近、私の同年代の女性の中では、Fさんという作家さんの本を読む人が多く、彼のインスタグラムをフォローしている人もよく見かけます。
SNSでもF氏のような恋愛観や生き方観についてのコラム、エッセイ、小説、イラストなどを皆こぞって見ていると感じます。

文字離れ、していそうな若者に買われ、重版するほどの売れ行き。

彼女たちがそれらに共感し、縋るのはなぜなのか。
最近だと、映画「花束みたいな恋をした」は顕著な例だと思います。 TikTokでこの映画を見た後別れました、彼氏と気まずくなりました、というような投稿を見る度、映画の影響力に隠れて人の浅はかさを知ります。 言葉を選ばずに言うと、映画見たくらいで別れる相手ですか、と思いますが、作り手からすると、見たものの人生を変えてしまうなんて、飛んだ大作でしょう。 映画を見た後、若者は調布へ、多摩川へ、明大前へ行くのです。 私はこの映画を公開前からチェックしていて、見たいなと思っていたのですが、溢れかえる薄っぺらい感想に辟易してしまい、まだ見ていません。おそらく見ません。 この作品が売れ、多くの人のこころを動かし、素晴らしいキャスト、制作陣によって作られた、名の知れた映画であることは揺るがない事実です。 ただ、その一方で、若者は見透かされ、食べられているのだなと思います。 SNSで大人の入ってこない世界に生きてきたはずの若者は、もちろん大人を凌駕している部分はあるけれども、俗に言う若気の至りは抜けずに、彼らにヒットするように商業は動く。
私はエッセイ、コラム、映画が嫌いなわけではありません。たった一行、ワンフレーズの言葉に大きく感銘を受けたり、自分の未熟さを再確認することは多々あります。しかし私は、その一行だけをみるのではなく、幅広く、さまざまな考え方に触れるように、そしてそれを出来るだけ否定せず、受容するようにしています。
私はこの文章を書きながら、流行に乗られて安っぽい若者と自分が違うぞと言いたいのかもしれません。 でも、最近のこのブームにはなにか引っかかるところがあって。 映画や本以上の人間関係や事実が現実にあるはずなのに、と思います。 長くなりました、お休みなさい。

大学卒業までに50冊本を読む目標を達成するために使わせて頂きます◎