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生きるの楽しい!

息子の生活を見守っていると心の底から羨ましいなぁ、と思う事があります。
何でも全力で一生懸命なことです。
何と言えばいいのか「生きるの楽しい!」みたいな感じで毎日同じ遊びや同じ行動を繰り返している時でも全力なのです。

それこそエアコンの効いた室内にいるのにバタバタと走り回ってしっとりしてみたり。
大人になると、とまで行かずとも小学校高学年くらいになるとそんな事ってあまり無いと思うのです。

家での生活も学校での生活も、それこそ会社での過ごし方や仕事中でも。
息子の見ている世界ってどんな風に映っているのかなー?と知りたくなります。

家でいつも遊んでいるクルマのおもちゃを手に取って、毎日の様にソファーの下を走らせては「でた!」と反対側から出てくるクルマのおもちゃを指しては発表して。
それを何度も繰り返しますし。

おもちゃを箱に戻しては机の上に乗せて、色々な角度から眺めては出して。
そしてまた元に戻して眺める。
お父さんも見て!と手を引いては何度も見せてきて、今日だけでも5回以上はディスプレイされたブルドーザーを眺めさせられているのです。

お父さんやお母さんは
「もういいよー」となってしまうのですが息子は違います。
何度も何度も、それこそお父さんやお母さん以上に繰り返し見ているのに大喜び。
仮にその日に飽きてしまっても翌日には同じだけの感動を味わっているのです。

息子にとっては楽しいことや嬉しいことの幅が広くて、ハードルが低い。
これってとても素敵な事だと思ったりするのです。

お父さんの年になって息子が楽しんでいることや感動していることに対して同じようにはしゃいでいたりすると、どうしても
「いい年して…」みたいに思われますし、自分自身でもそんな考えがよぎってしまうと思うのです。

どうしてもそんな風に考えてしまいますが、本当はそんな考えになる必要なんて無いんだろうな、と息子を見ていると思います。

自分の心の喜ぶままに、といいますか。
感情の赴くままに、とでも言うのでしょうか。
息子は、子どもはとても正直な生き物だと思います。
改めて感じることですが自分の欲望に正直なのが子どもといいますか。

しがらみを感じないからこそ生きていることが全て楽しい!となっているのか。
目に映るもの全てが新鮮!みたいな。

大人になった今だからこそ息子を見ていて羨ましくなるのです。
大人になって娯楽の数が増えていっても、今を生きている息子のようにキラキラと楽しめていないなぁ、と。

生きるの楽しい!毎日幸せ!
みたいに暮らしている息子を見ては
そうなりたい、と思うと同時に少しでも息子がそうやって感じて生きていられるように。

お父さんが、これから先も楽しいことはいっぱいあるよ!と思わせてあげられるような大人になりたいなと思うのでした。

ニコニコ過ごす息子をもっともっと見ていたいな。
っていうお話。

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