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「献笛紀行」賀茂別雷神社 「上賀茂神社」(京都)

令和4年9月19日、京都市北区賀茂本山
に御座います。賀茂別雷神社(上賀茂神社)
にて、「奉納献笛」に参りました。
賀茂別雷神社(以下、賀茂社)には2015年
に神道国際学会のフィールドワークにて
参拝に訪れた事もあり、当時からお世話
になっております、神道国際学会の理事
長であり金光教春日丘教会長でもある
三宅善信先生にご相談致しまして賀茂社
の田中宮司様に「奉納献笛」の企画を
ご了承頂きました。この場をお借り致し
まして、御礼申し上げます。

筆者が本州の奉納献笛で、先ず
最初に訪れたいと想っておりましたお宮
様が京都一宮でもあります、賀茂社で
御座いました。

この賀茂社と申しますと、京都の大祭
「葵祭」が有名ですが、境内に入りますと
すぐに目に留まりますのが細殿(拝殿)の
前に御座います、二つの「立砂」です。
この立砂は賀茂社の神体山である「神山」
をかたどったもので、賀茂別雷神社
(賀茂社)の御祭神である賀茂別雷神(かも
わけいかずちのかみ)が降臨した「神山」
をかたどったものです。鬼門に砂をまい
たり、清めの砂といったものはこれが
起源だと言う事です。

そして賀茂社と言えば、「夏越祓」です
または「大祓」とも申しますが、この
「夏越祓」も有名ですね。筆者NOTE
の冒頭に「献笛紀行はじめに・・」に
御座います。「縄文の神が息づく・一宮
の秘密」戸矢学氏著書を紹介しています
が、この著書に【「祓い」の機能は明治
新政府によって禁止され、神道がこれを
受け継いだ。賀茂社こそは平安京の鬼門
の守護神である。平安京の都城建築では
洛外に位置付けられているが、これは
賀茂社を鬼門の守護とするためである。
つまり賀茂社は後付けの神ではなく、
まず先に賀茂社があった。そしてこを
起点に守護の地域を見出し、そこを宮都
となした。これが平安京である。賀茂神
こそは京都発祥の神である。人も土地も
賀茂に発する。】※(戸矢学著書「縄文
の神が息づく・一宮の秘密」一章39P
より。)とあり、賀茂社にとても興味を
抱きました。

そんな賀茂別雷神社(賀茂社)に有難くも
「奉納献笛」を献上して参りました。

先ず、社務所の応接室に通され、お忙し
い中、田中宮司様と暫し対談をさせて
頂きました。賀茂社の歴史など、貴重
なお話しをして頂き、先ずは「祓祝詞」
にて、この身を清め、この度は田中宮司
様と2名のご神職様、賀茂社専属カメラ
マンの方が見守る中、特別に「国宝権殿」
に参拝しまして、同じく「国宝本殿」にて
「賀茂別雷神様」に篠笛の調べを奉納させ
て頂きました。

奉納曲は2曲。「雪乃静音」改め「陰」
そして、自作曲「奥の水鏡」
また、この奉納で新たな音のインスピ
レーションが沸き出てまいりました。

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