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「この世の喜びよ」感想

この世の喜びよ感想
 私は大学卒業後ショッピングセンターの衣料品売場で働いている。教員かOLになろうと思っていた。こんな仕事に就くとは思ってもみなかった。営業時間に合わせた不規則な生活や理不尽に日々不平不満を抱えながらも、少しずつ前向きに働いている。
 私はそのショッピングセンターに行くのが大好きだった。母や姉と習い事の帰りに寄り道したり、食料や文房具、本や服を買ってもらったり。経営難から店を畳み心が荒れ狂ってどうしようもなくなった父が寝静まるまで夜こっそり出かけたり、不安な日々をやり過ごすためのシェルターとしての役割も果たしてくれた。
近くに大きなモールが何個かできると母と出かけたのも楽しかった。旅行の時にも必要なものを買い揃えるために立ち寄った。雪で帰れなくなった時は、おじの家に泊まるため布団も買った。あの時本屋さんで見たMOEの少女漫画特集、欲しかったな。
もらったお年玉で福袋も買いにつれていってもらった。かわいい鞄に入ったものや、早起きして行列にならび大量にお洋服が入った大きな袋を抱えて友達と駆け回った日もあった。
高校生の頃は、学校帰りに友人たちとプリクラを撮ったり、誕生日近くになるとプレゼントを買いに走ったり、フードコートで勉強したりおしゃべりしたりしていた。
大学生になると、途端に「○○なんて」とばかにしだした。けれど、結局母とお洋服を見に行って買ってもらったりしていた。ご飯やおやつも大学まで迎えに来てもらって寄り道して食べたり。
楽しい時間を過ごさせてもらっていたことに間違いはない。数え切れない思い出がある。
今でも好きな気持ちはあるのだ。
けれど、働くとなると全く別で、会社を憎む気持ちさえ生まれ、入社からしばらくは呪詛のような言葉を吐き続けていた。
 そんな中で、「この世の喜びよ」に出会った。
出勤前の身支度をする時はいつもテレビをつける。壁掛け時計がないのでニュース番組が私の時計がわりなのだ。芥川賞の発表で、「ショッピングセンターの喪服売場の女性と少女の交流を丁寧に描いたもの」と紹介されており興味を持った。が、その時期は試験前で本どころではなかったためしばらく忘れていたのだけど、最近早く帰れる日があったので近所の蔦屋に立ち寄った。その時に棚に平積みで置いてあったのだ。あー、なんか気になってたけどこれだったかな?と思いつつ、品揃えがかなりよく本をたくさん選んで気分がかなり高揚していたので買った。そして、読んだ。
 あらすじとしてはパートタイマーとして働く子育てが一段落した女性が、フードコートにいつも1人で佇んでいる少女と会話をしていく中で自分と出会いなおす、というのだろうか。
 人と対話をする時、特に年少の人と話す時、私は「あの時なんて声をかけて欲しかったんだろう」と考えながら話すことがよくある。
 けれど、母や友達と話している時は、素のままの自分というか、脳から信号がすぐに出て会話をしている部分がある。だから、すぐにカチンと来たり傷つけてしまうことがあるのだ。相手のことは理解しているつもりだけど、どう話したら伝わるのかとかはあまり考えない。自分のことは理解されていて当たり前で、わかってくれるのが当たり前だからと思ってしまっているんだろう。
 親しい人から悩みを打ち明けられたときや、自分が経験した道のことを聞くと、「その時の自分」が出てくるのだ。あの頃私は同じ内容で悩んでいて、こうしてみた。時間が経つと最適解が見えて、ああすればよかった、逆にこれでよかったのだと思えることもある。また、相談して傷ついたことがあったら、こう答えようなど、その場で決めるけど日々に押し流されて忘れてしまうのだ。けれど、相談を受けた時に「その時の自分」が蘇り、ああ言ってもらえたらがんばれたかも…こういうヒントが欲しかった…と囁くのだ。そして、それを言葉にして相手に伝える。なるべく丁寧に。そうすると、その時の自分は助からなかったけど、記憶の中にいる自分が救われた気持ちになるのだ。相手にとってそれは求めているものと違うかもしれないけど、うまく行ったのならうれしいし、そうでなかったなら仕方がないと諦めるほかない。
 設定やシチュエーション、会話、背景、回想、全てが自分の経験や考えていたことと重なり私は涙をこぼした。
 少し話は変わるけれど、主人公はいわゆる「パートさん」だ。私は「社員」なので、「パートさん」達とは少し立場が違う。母もその1人である。日々仕事をする中でついつい優しさを失ってしまうことがある。けれど、彼女たち一人一人にも人生があるのである。結婚し子供を育てて歳をとり…という人もいれば、1人で親の介護を請け負う人もいる。私はつい、そういうことを忘れてしまう。でも、「この世の喜びよ」を読んで少し思い出すことができた。こういった物語を書いてくれてありがとう。
 パートタイムの中年女性が主人公の小説は果たしていくつぐらいあるのだろうか。私はあまり小説は読まないので、少なくとも今まで出会ったことはない。あったとしても、優れた力の持ち主だったり犯罪に手を染めたりと日常から逸脱しているものが多いんではないか。たいていパートタイムの中年女性は脇役で、嫌な役であるかすごく懐が広いかどちらかだろう。
そういえば、この話には「悪役」が登場しないのがいいと思った。人は人でそれ以上でもそれ以下でもなく。私も小さなことに目くじらを立てず、そのぐらい淡々と生きていきたいものだ。
争いもドラマティックなシーンもない。けれど、一つ一つの会話にドラマがある。それは誰の人生でもそうではないだろうか。私は回想シーンや思い出が大好きなのだ。けど、意外と人ってそういうのに興味がないことに驚く。面白いのに。同じ本を読んだ人の感想が読みたくてインターネットサーフィンをしていたら、「おばさんの思い出話」「だから何」みたいな冷たいことを言っている人が多く、読書体験は自分の経験や思想と密接に関わっているものであることを実感した。だから、私の胸に刺さった。
 読書感想文はいつも何を書いていいか分からず評価が低かった。今回初めて本を読んでちゃんと自分の感想が溢れてきた。うまくまとめることはまだできないけれど、「この世の喜びよ」に出会えて私はよかった。ありがとう。

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