見出し画像

一口推し海外ドラマ紹介「私立探偵ダークジェントリー」〜クズが作った、絶望に効くドラマ


究極の最悪とは絶望ではない。なぜなら最悪ならそれより下に落ちることはないからだ。絶望とはすなわち悪い状態から足掻く気力がない状態を言う。なぜ足掻く気力がないのか、それは自分が何をしても無駄だと思える状況に追い込まれているからだ。
絶望の裏には必ずしも挑戦や、挫折、敗北がある。
そんな状態の君を全体論的探偵ダークはきっと助けてくれる。
 

全体論とは


わたしはねこ
という文章がある。その時「は」だけを個別に抜き取ってみると「は」は無限の可能性を秘める。「はいしゃだいきらい」の「は」かもしれないし「マックス・ランディスは性的暴行で干された」の「は」かもしれない。「は」という言葉は他の文章によって初めて意味を持つのだ。
まさに全体論というのは絶望の本質と似ている。私達はどこまでいっても「は」でしかないのだ

何をやっても無駄


 もし、全てのものが他のすべてとの関係性で決まるなら私達は何をしても無駄になる。
ダークジェントリーというドラマはそう言っているだけの作品だ。主人公の探偵ダークはなんと探偵なのに推理をしない。それはあまりに馬鹿らしく感じるし実際馬鹿だが、全体論的に考えると納得できる。
「わたしはねこ」の文章が真実だとして、「わ」だけを抜き取って「た」との因果関係を考えるのは意味がない。なぜなら因果関係は存在しないからだ。 
しかし、絶望を再構築している物語がなぜ絶望に効くのであろうか。

絶望に効くダーク


最初に述べたように絶望とは最悪の状況から自己不能感により動けなくなることにある。
そして全体論とはそれが個人の素質ではなく世界の理と考える理論である。
そこから導き出される答えは、「何をしても無駄だけど何をしてもいい」ということだ。結末は変えれないし、物語は最初から決まっている。でもそう仮定することで初めて人は自由になれる。
結末が決まってるなら足搔きたくないって?それすらも、ダークは認めてくれる。
どうせ結末が決まってるなら好き放題、性的暴行するって?監督、脚本を務めたマックス・ランディスらそれで干されている。
でも僕は足掻くのも悪くないと思っている。その理由「は」私立探偵ダークジェントリーで!


 


この記事が参加している募集

おすすめ名作ドラマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?