読書感想#35 【(アレクサンドリアの)フィロン】「アブラハムの魂の遍歴」
アブラハムは、カルデアの地からハランの地へと移住しました。敬虐なるアブラハムが、神の言を聞き逃すはずなどなかったのです。
彼にとってこの移住は、肉体のためではなく、むしろ魂のためでした。というのも、カルデアの人々は可視的なもののみを尊重し、決して不可視かつ可知的なものは考慮しないような人々だったからです。そのような地で訓育された彼は、感覚的なもののためにひどい霧にたちこめ、本来の力を失っていました。そんな彼にとって移住とは、魂の目を聞き、カルデア人の教えから離反することだったのです。
カルデア人は感性的世界の外側にある、可知的本性を理解していませんでした。故にアブラハムは移住によってようやく、この長い間隠されていた、不可視であるものを捉えることが出来たのです。この出来事は聖書において、「神はアブラハムに見られた」と伝聞されるところのものであります。
天界の現象に通じた者には、この宇宙より大きいものはないと思われ、彼は生成するものの原因をこの宇宙に帰します。しかしもはや鋭敏な目と化したアブラハムは、この宇宙よりも完全で可知的な何かがあり、それが命令し支配しているのであって、他の全てのものは、それによって支配され統治されているということを見て取るのです。またそれ故に、以前の自分を厳しく責めもします。彼がこれまで送ってきた生は盲目の生活であり、感覚的なもの、即ち本性上不確実で不定なるものに依拠する生だったからです。それ以後の彼は、放浪とそれから生ずる不安定さに不満を抱くことなく、むしろそれを好んでさ迷い続けました。その放浪こそ、自己を至福なる本性に似せる行為だったからです。
アブラハムは示します。知性は畢竟欺かれて感覚的なものの領域に留まるのであり、理性的立法、悟性的立法、そして想像力による自由な一致において、飛躍しなければならないということ。可感的世界を、可知的世界を、超越的世界へと。
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