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徒然コンテンツ評②映画『メメント』の複雑性に挑む

先日、Netflixをつけた時にこう思った。
『インターステラー』って有名だけど、観たことないなぁ

 ということで、Netflixを調べてみたが…

まさかのない!!!

「嘘だろ…」と落胆をしたが、ここで「同じ監督の別作品ならあるかもしれない」と考え、『インターステラー』の監督であるクリストファー・ノーランの作品の中から適当に目についたものをチョイスして調べてみると

お!あったあった!

『メメント』という作品が見つかった。僕みたいなカードゲームオタクは、メメントと聞くと、光入りバスターのD2フィールドを思い浮かべるだろうが、断じてそれではない。補足すると、メメントという言葉の意味は、ラテン語で「思い出せ」だそう。まぁこの「思い出せ」というメッセージが特にこの作品では重要になるのだが、それは後述する。今回はこの『メメント』がとても作品として素晴らしかったので、紹介したいと思う。1とまとめ以外はネタバレをガンガン含むので注意。

1.作品の概要

 作品の概要、なんて仰々しいタイトルをつけたが、これがまぁ難しい。というのも、観ていない人にこの作品を紹介するのはとても難しいのだ。その理由はこの作品の時系列は非常に錯綜しているからである。

 物語は、主人公のレナードが妻を殺した犯人を追うというもの。しかし、このレナードは致命的すぎる弱点を抱えている。それは短期記憶が消失してしまうという点である。これは彼の事故による後遺症である。事故以前の記憶はあるのだが、事故以後の記憶については10分で消失してしまう。医学的な用語を使うと、前向性健忘というやつだ。

 すぐに物事を忘れてしまう彼の取った行動は、記憶をすべてメモに記録すること。映画タイトルである『メメント』の言葉通り、「思い出せ」るようなヒントを常に作成しているのだ。しかし、メモは所詮メモ。誰かに書き換えられたり、破棄されてしまうかもしれない。そこで、彼は確定した記憶はタトゥーにして自分の体に刻んでいる。その結果として、彼の肉体は墨まみれとなっている。

 そして、作中での時間が錯綜しているという点。これこそが、殊にこの作品を咀嚼する上で重要になってくる。以下ネタバレを多く含むので注意




2.種明かし


 結論から言ってしまえば、カラーの映像は終わりから始まりへ、モノクロは始まりから終わりへと進んでいる。これこそがこの作品のトリックである。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 Wikipediaに載っていた図だが、説明するにはこれが一番手っ取り早い。察しのいい人なら、最初のシーンを観ただけで違和感があったはずだ。

  • 何故、ポラロイド写真を乾かしているのにどんどん色褪せるのか

  • 何故、血の流れる方向がおかしいのか

  • 何故、拳銃が吸い付くように地面から手に戻るのか

これらの問題も、上記の図ですべて説明できる。最初、僕は「クリストファー・ノーラン監督はよくSFを手掛ける監督だから、この作品もそういう特殊能力的なやつなのかな?」と思っていたが、そうではない。これは演出上のトリックである。

 一方で、モーテルで目を醒ましたモノクロの映像は時間軸のままに進んでいる。確かにおかしい点はたくさんあるのだ。何故ここだけモノクロなんだ、と作品を観ながらずっと不可解に感じていた。それもこれも、この図でもって説明がつく。しかし、作品を観ている時は意外にもわからないものである。ずっと「不思議な作品だなぁ」と思っていたが、蓋を開けるとこんなトリックが仕掛けられていたとは思いもしなかった。

 では、何故この作品の時間軸は変なことになっているのだろうか。これは記憶障害であるレナードの気持ちで作品に没入してもらう為である。何が起きているのかよくわからない、という状態はクリストファー・ノーラン監督の狙い通りなのだ。そう、それはまさに作中でのレナードと同じ状態である。

  • 周りの人々は一体誰なのか

  • 今いる場所はどこなのか

  • どうやってここに来たのか

  • ここに来た目的は何なのか

こうしたことは一切わからない状態である。これをただ上映するだけは、作品の没入感としては不十分である。だから、こんなクソほど面倒くさい鑑賞する側を混乱させるような作りとなっているのだ。

3.作品構造が分かった上での感想

 僕の感想としては

「救われないなぁ」

である。この物語、最後は爽やかに〆ているが、何もハッピーエンドではない。もしかしたら、「テディがジョン・Gなんでしょ?」と思っているかもしれないが、それはミスリードである。彼はジョン・Gではない。なんなら、麻薬犯であるジミーですらない。というか、レナードは恣意的といっていいほど都合のいい事実ばかり選びすぎだ。そもそも、この話自体ほぼ誰も信用はできない。最後、というかカラーの時系列的には最初にあたる部分も、車のナンバーを掘りにタトゥー屋に行くが、そのナンバーが元々は自分の車であったことはもう覚えていないだろう。

 本物のジョン・Gはどこなのか。それはもう1年も前に亡くなっているのだ。では、何故レナードはまだジョン・G探しに明け暮れているのか。それは

もう彼に残されたのは復讐心だけ

だからである。なんという悲しきモンスター。実際、終盤にテディはその事実を指摘している。しかしながら、レナードは聞く耳を持たない。クライマックスのセリフとして「記憶は自分の確認のためなんだ」と語っているが、自分の確認とは客観的ではなく主観的である。見たいように見るし、信じたいように信じる。その結果、復讐心に燃えた男は、最後にテディまでも手にかけることとなってしまった。「たとえ忘れても、きっとやることに意味がある」とも口にしているが、実際にはやることを見つけないとどうにかなってしまいそうなのだ。

 そしてクライマックスで一瞬映る"I've done it."と書かれた左胸のタトゥー。「成し遂げた」という意味である。隣には彼の妻がいる。しかし、これは幻想である。叶わなかった世界線。きっと彼も薄々気が付いているはずだ。

こんなことしても、誰も何も救われない

と。しかし、その現実を直視するのはあまりにも厳しい。生きる意味の喪失と直結してしまう。だから、本能として事実を拒んだのだ。タイトルの『メメント』という言葉に対してのアンサーはあまりにも皮肉的で、歪んだ形で遂行されてしまったと言える。





4.まとめ

  今回はクリストファー・ノーラン監督の出世作である『メメント』のレビューをした。うーん、難しい。とても難解である。この記事を書くために、今もNetflixのシークバーを行ったり来たりしている。自分が今まで見た中では、『ダ・ヴィンチ・コード』に並ぶレベルの難解さだった。それでも、この作品はとても面白い。時間軸をこうして奇天烈に表現することで、ここまで謎の多い作品に仕上がっている。もう一度観るときは、結末をわかった上での面白さが得られそうだ。クリストファー・ノーラン監督の別作品も是非鑑賞したいと思う。それでは最後に

実は殿堂解除して欲しかった

こっちじゃねぇ!!!!


以上!また次回!!

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