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日本人の宗教的な柔軟性

日本人は古来から宗教的な柔軟性に富んだ民族である。蘇我物部の神仏論争以降は、宗教戦争は見られず、仏を敬いつつ、神に祈りを捧げてきた。インドの神々はいつの間にか仏教に組み込まれ、権現天照大神は大日如来の仮の姿であるというように、神は仏の権現(仮に現れる)とされてきた。

『平家物語』には、壇之浦で安徳天皇が「小さう美しき御手を合わせ、先づ東に向はせ給て、伊勢大神宮正八幡宮に御暇申させ御座し、其後西に向はせ給て、御念仏あり」、二位の尼に抱かれて入水したとある。浄土思想の浸透と伊勢大神宮正八幡宮に皇祖信仰の衰退を感じるが、神と仏の両者に祈ることは、当時の普通の人たちの宗教感なのだろう。

 なにごとの おはしますかは しらねども
 かたじけなさに なみだこぼるる

真言宗の僧侶西行が伊勢神宮を参拝したときの歌である。僧侶が神社を参拝する超宗教性がすばらしい。伊勢神宮の神がだれか忘れられていても、境内の神々しさに超自然的力を感じたのだろう。

こういう例に触れると日本人は形式を越えて、本質を感じ取れる民族だという気がしてくる。
七福神巡りをすると、七福神が寺院にも神社にも安置されているのに気づく。日本の神様(恵比寿)、インドの神様(毘沙門天、弁財天)、中国の神様(福禄寿、寿老人)、弥勒菩薩の化身とされる布袋、大国様と習合した大黒天のように、七福神は、神仏習合を今に残している。

江戸時代まで、神仏を分け隔てなく、合わせて信仰する時代が続いたが、明治維新後の神仏分離令の結果、神社は寺院の管理から独立して、神が仏から離れた。

日本にはクリスマス、バレンタイン、ハロウィン等の宗教行事が宗教色を薄めて入ってきたが、日本の伝統的な行事と合わさることがない。ハロウィンの行事は部分的には、お盆の先祖供養やお月見の子どもの団子盗りに似ているのだが、盆やお月見にも影響はないようだ。変わることの是非の問題ではなく、昔は、多くのものを受け入れて、既存のものと合わせて作り変えてきたことが、今はそうではなくなった不思議さを思っている。ひとつは、人々の教育レベルが上り、知識が豊かになったからかと思える。宗教的な知識に縛られて、変えられなくなったのか、行事に流動性がなくなった。

いろいろな物を受け入れる柔軟性と伝統的なものを変えない堅固さが、今の日本人の特色なのだろう。知識は人間を不自由にするのだろうか。


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