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明治35年10月の祖母への幼なじみからの手紙

祖母の幼なじみの松本こと子からの明治35年10月1日に出した手紙である。祖母田中はる子は、明治18年生、当時4年生だった高等小学校を卒業後、数え年16歳で佐々木家に奉公に出たと考えると、奉公は明治33年からになる。明治34年1月7日の松本こと子からの祖母への年賀状のあて先は佐々木御内になっているので、明治33年に奉公したようである。

手紙の内容
いつしかたち変わる風の音に、ひと葉ひと葉の声、千草の虫もよろづあわれに見える折ですが、あなたは如何にお過ごしかと蔭ながら案じていましたが、お姉さまからの言付けでは、皆様は御無事にお勤めされているとのこと、何よりうれしく思います。
私たちもまめやかに暮しておりますので御安心下さい。
つきましては何より見事な御品物を頂戴致しまして、ありがたく受納致しました。何れお会いした時に御礼を申し上げます。私の方から御訪ねするべきなのに病気の為に逗子へ行っていて、お連絡もせずに誠に申し訳ありません。悪からず思し召し下さいますようにお願いします。
回顧すれば、去年の市にはあなたと参り、何よりも楽しく、喜びましたので、今年も何となく懐かしい気持ちでおります。何れ来春にお会いして積るお話しをしようと今より指折り数えてたのしみに暮しています。末筆ですが、お姉様へよろしく、あなたからお伝え下さい。いつもながらの乱筆をお許し下さいますよう、先は御礼かたがたお伺いいたします。 
返す返すも時候不順ですので、努めて避けられるようにお願い致します。先日の台風には別にお変わりもないですか。当方は幸ひ無事ですので御安心下さい。

手紙の要点は、
・あなたのお姉さんからの言付けで無事に働いていることを知ってうれしい。
(祖母と松本こと子の実家は、同じ日本橋田所町19番地であり、祖母の姉とも連絡し合える関係だった)
・見事な品物をありがたく頂戴して、お会いした時にお礼を言いたい。こちらから伺いたいところだが、病気療養の為に逗子に行っていて、できなくて申し訳ない。
(別の手紙では、例の脳病と書いてあるが、繊細な心の持ち主らしく、余り丈夫ではなかったようだ)
・去年の市に一緒に行ったことが懐かしい。
(市とは、寺社で行われる酉の市や年の市のことと思われ、特に12月の浅草観音の年の市が名高かった)
・来春に会って積もる話をすることを指折り数えて楽しみにしている。
(来春とは、正月のお宿下がりのことかと思える)
・先日の大風雨(台風)で変わったことはないかお伺いしたい。

原文
【宛先】
神田区西小川町壱丁目三番地
佐々木様 御内ニテ
田中はる子様 御許へ
消印35.10.2 

【差出】
日本橋区田所町十九番地
まつもとこと子拝
十月一日出

【本文】
何しか立かはる風の音に ひと葉ひと葉のこえ 千草のむしもよろづあわれに見え奉候折から 御許様には如何入らせられ候やと蔭ながら御あんじ申居候處へ  御姉上様の御ことずけには皆々様には御無事におつとめ遊ばされ候由 何よりうれしうぞんじ居奉候 
次に私方皆々例のまめやかに暮し居候まま憚ながら御安心被下度願上候
就ては何より見事なる御品物頂戴致し ありがたく受納致し奉候 何れおめもじの節よろづ御礼申し上候 私方よりとくに御尋ね申べき筈の處 病気の為メ逗子へ参り居 御無音に打すぎ 誠に申譯ものう ぞんじ居候まま悪からず思召下され度願上候 
おもひまわせば 去年の市には御許さまと参り何よりたのしくと喜び居候まま今年も何とのう 御なつかしうぞんじ居奉候 
何れ来春御めもじ致し 積る御話しを今より指折かぞへたのしみに暮し持居奉候 筆末ながら御姉上様へよろしく御許さまより御傳へ下され度 願上奉候 いつもながら らん筆御ゆるし被下度 先は御礼かたがた御伺ひ迄申述奉候                       
           目出度かしこ

 十月一日        まつもとこと子

 はる子様 御許へ

返す返すも時候不順に御座候間折角にいとひ遊すやう蔭ながら願上奉候 先日の大風雨には別に御かはりもこれなく候や伺上候 当方は幸ひ無事にこれあり候まま御安心願上候


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