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山の手と下町の利便性

子どもの頃から東京の下町に住んでいるので、山の手の生活を知らない。何度か、麻布や広尾を散策して気づいたことは、地下鉄駅が低い所にあり、坂道を登ったところに高台の閑静な住宅街があるということである。

タクシーの運転手は、山の手は坂の名前で覚え、下町は橋の名前で覚えるということを読んだことがある。それほどに山の手には坂が多く、下町には橋が多い。

大河は、人々の生活範囲を狭める。私が育った江戸川区小岩は、東に江戸川、西に新中川が流れ、大河により生活範囲が狭められていた。江戸川区平井に住んでいた友人は、よく平井は島だからと言っていたが、確かに、平井は旧中川の東にある地域だが、荒川と中川という大きな放水路が開削されて以後は周囲を川で囲まれている。川幅の狭い旧中川を渡り、墨田区や江東区に行く方が他の江戸川区に行くより近い。

山の手にも台地と低地があり、従って坂がある。山の手は、武蔵野台地が海に落ちる端にあり、当然に坂が多い。だが、山の手の坂は、下町の川のように地域を隔てることはないようだ。山の手は、江戸時代の大名屋敷があった場所だが、当時の人たちにとっては高台に住むことの苦労より、防御的な安心感や水はけの良さ等の利便性の方が強かったのだろう。元々、高台にある城郭に親しんだ武士たちにとって山の手の坂等は苦ではなかっただろう。今、広尾や麻布の高台を歩いても、低地よりもはるかに車や人の通りは少ない。その代わり商店やコンビニがない。

人や物資は低地から
人や物資は、先ず低地に集まることは間違いない。下町の河川や運河で集積地に運ばれて陸揚げされて、街道から各所に運ばれるが、これは、下町と山の手の関係だけでなく、山の手でも谷間に道が発達して、更に高台への道があり、高地低地の関係は変わらない。

坂道は大変だが健康によい。
高台には高級な住宅街があり、下には商店街という関係は、高台の麻布本村町と下にある麻布十番の商店街の関係からも窺われる。麻布本村町と麻布十番への往復には坂の上り下りが必要だが、若いときには何も感じなかったことが、高齢になり、坂を強く意識するようになった。しかし、坂道の生活をしていた方が生活習慣病予防効果があり、坂道が大変ということがそのまま短所とは言えない。

下町は平らだが橋の端はスロープ。
これに比べて、下町は平らなため歩くのは楽であり、商店街やコンビニが近くにあり、生活はしやすい。ただし、橋が多く、橋詰は必ず坂(スロープ)がある。これは避けられないことのようで、運河を埋め立てた跡も道路が盛り上がっていて、昔は運河だったことが分かる。下町には山坂がない代わりに橋を渡るための短いスロープがある。

利益不利益は見る視点で変わる。
この世には全てを満たすものはない。何を持って利とするかは、個人差があり、地域差もある。山の手と下町を比べても、利益不利益は見る視点で変わる。ペルーのリマの景色をバスから眺めると、山の下の方から住宅が建設されていた。ガイドの話では、山下は生活に便利なので富裕層が住み、山上は不便なため富裕でない層が住むと言っていたことを思い出す。

南麻布(麻布本村町)の山岡家住宅
麻生からの東京タワー
暗闇坂



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