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母の関東大震災の思い出

今週は防災週間だそうだ。9月1日は関東大震災の日である。その関東大震災のことを、当時、3歳10か月だった母がよく話していた。強烈な記憶として脳裏に焼き付いたようだ。これは、母が『記憶』と題して自分の思い出を綴った文に書かれている母の関東大震災の思い出である。

「八十年以上もこの世に生きていると古い想い出も多くある。
 一番古い記憶は、大正十二年九月一日の関東大震災から始まる。
 当時、東京府荏原郡荏原町下蛇窪と言う所に住んでいた。時刻は正午寸前、突然ぐらぐらっと家が揺れ、途端に居間の火鉢の上の鉄瓶が踊り出し、灰かぐらとなった。三歳十ヶ月の私を七歳上の姉がすぐ抱き寄せ、『あっあっ』と叫んでいた。
   その後のことはあまり覚えていない。ただ竹藪に逃げた事、朝鮮人騒ぎで暗闇を夜中に、私は母の背に、親子六人が逃げまわったことをおぼろげに覚えている。幸いに災害は無かった。兄弟姉妹は四人、私は末子で長兄は私より十二歳上だ。今は兄姉皆亡くなっており、八十九歳で世を去った長兄は私のために一番長く残っていてくれた。」

住まいの近くに東光寺という寺院があり、そこの竹やぶに逃げたと聞いたことがある。夜中に逃げるときに、先頭を行く父近次郎が列最後の長兄に「とうご、いるか」と言うと長兄が「いるよ」と答えていたと話していた。

夏でもお湯を沸かすために火鉢が使われていて、地震により鉄瓶がひっくり返った。根が張り巡らされている竹やぶは、地震の逃げ場所として良いということは、最近までよく言われてきた。朝鮮人騒ぎもデマで実体のないものだったが、普通の人たちは、それを疑うことなく、恐怖で逃げ惑った。短い文章からも、大震災の時代的気分を知ることができる。幸運にもそのような生の体験談を母から直に聞くことができた。


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