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トマトの話 思い出いろいろ

あるテレビ番組でトマト栽培を大正14年から営んでいる農家の人が、その頃は生で食べる習慣はなかったと話していた。そうなのかと思うとともに、私の頭の中にある昭和前期のトマトに関する唯二つのことが思い出された。

小学校の家庭科の真鍋先生の話「先生はトマトが嫌いで食べられなかった。空襲疎開したときに毎日トマトばかりが食卓に出た。食べ物が少なくてお腹がすいて仕方がかなったので、トマトを食べてみたらすごく美味しかった。それからトマトが食べられるようになった」疎開中に生トマトを食べた話である。

『銀河鉄道の夜』でジョバンニが食べたトマトはどんな調理だったのか気になり続けている。
「姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置いて行ったよ。」とジョバンニのお母さんが言うトマト料理であるが、こしらえたというので生ではないようだ。南欧風のイメージがするので、トマトスープかトマトを煮込んだものなのだろう。

イタリアンになくてはならないのが、トマトだが、原産地はアンデス高原でメキシコに伝わり食用化されたので、ヨーロッパに入ったのは、大航海時代からである。トマトがないイタリアンは想像しがたいが、わが国にも洋食がない和食の時代が長らく続いてきたことを考えれば、トマトのないイタリアンも美味しかったのだろう。たしかにローマ帝国時代は飽食の時代だった。

小さい頃に叔母がトマトに砂糖をかけて食べていた。昔のトマトは、水分が多いので果実のようだが、甘くなかった。砂糖をかけて果実化したかったのかと思う。果物と野菜の分類上の区別は木になるかどうかなので、トマトは野菜になる。これだとメロンやスイカも野菜になるのだから、分類は便宜的なものだ。瓜は野菜、メロンは果実、甘い真桑瓜は?この世の中は連続しているので、分類ほど難しいものはない。話がトマトから違う方向に行ってしまったようである。

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