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昭和の正月晴着の写真

隣家に住んでいたK子さんが、こんな写真があったと送ってくれた。見ると家の前で姉とK子さんが晴着を着た正月の写真だ。50数年前に隣家の小父さんが撮ったものだ。思い出は当時のカメラにつながっていく。

昭和40年代半ば、経済成長の波に乗って、家庭に電化製品が普及し、生活が向上していった頃である。晴着とカメラにそれが感じられる。

カメラを趣味にしていた小父さんは、時々できあがった写真を見せてくれた。雲がくっきりと写っていると「雲が降りている」と独特の言い回しをしていた。神輿を担ぐ子どもの写真に、子どもを撮るときは、しゃがんで真っ正面から撮るのが良い、カメラはしっかり持って、シャッターはしっかり指の腹で押さないと写真がぶれてしまう。こんな話をしてくれる小父さんの顔はいつもうれしそうだった。

当時は24枚撮りや36枚撮りのフィルムカメラで、写真店に現像に出して、ネガとプリントを受け取った。フィルム代、現像代、プリント代と結構お金がかかった。デジタルカメラの有り難さを痛感している。フィルムにはフジ、サクラ、コダックの3社のものがあった。フジフィルムは緑色が美しく、サクラフィルムは赤色が美しいと言われていたが、わが家はフジフィルム派だった。価格が高いカラーフィルムも出始めたが、年が経つと色がだんだんとあせて薄くなっていった。

フィルムの保存力は、どうなのだろう。長所は機器に依存しないことだ。デジタルは再生するために機器に依存している。ソフトはあるが機械がなくて見られないという思いは、誰でも経験していることだと思われる。その点フィルムは、見れば分かる。保存期間は?百年前のネガが見つかり写真が再現できている。百年は大丈夫のようだ。

記録媒体は、金石文、紙(和紙)、フィルム、電子の順に保存期間が短くなると思っている。K子さんは、「こんな写真が出てきた」とスキャンして電子化してメールで送ってくれたが、アナログの保存力とデジタルの便利さを感じている。デジタルは情報伝達手段としては便利なものである。私たちは、その便利さにだけ甘えていているうちに、大事な写真がパソコンから全て消えてしまうのではないかと心配もしている。



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