【私小説】さようならをもう一度
私がさようならを伝える時、その言葉は「またいつか会いましょう」に変換され、本人に伝わります。
お別れの合図は、もう一生会えないことを保証されたかのように儚くて、一生のうちでのほんの瞬きをするまに、風に乗った木の葉の一枚のように当たり前のことですよね。
しかし、私はそれがとても寂しい。苦手な人だったり、合わない人だとしても、私が死ぬまでにもう2度と顔を合わせることがないと思うと、その木の葉を思わず掴みたくなってしまうのです。
だから、私は敢えて言う。「またいつか会いましょう」その価値観と近いのか分かりませんが、米津玄師の新曲で同じような楽曲が配信されましたね。
お別れも、バイバイも、また会うときのためにある。保証はどこにもないけれど、また同じような風が私の頬を通り過ぎて、毎年のように秋風が吹き、暖かい陽の光が心に差し、木の葉が舞う。
そうであってほしい。さよーならまたいつか!
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