マイノリティの叫び 朝井リョウ著「正欲」
多分自分は、マジョリティ側の人間だと思う。
マイノリティと一口に言っても、多様なタイプがある。
多くの人の想像範囲を超えた性癖があるという事実。
それに悩んでいる人がいるという現実。
多くの人が感じる性癖と、自分は違うということが原因で、その結果、あらゆる人たちの繋がりを閉ざしてしまう行動。
声高に苦しいと叫ぶこともできず、人知れず苦悩している人が、自分の周りにもいるかもしれない。
より住みやすい世の中を作るためには、マジョリティ側がまず、そういった現実を知る必要があると思う。
この作品は、マイノリティの人たちの現実を知るきっかけを私に与えてくれました。
問題提起されて、初めて思い知らされた感じです。
でもこういう言い方も、マイノリティの人たちにとっては、上から目線の許せないことなのかもしれない。
本当に難しい問題だと思う。
確実に多様性の許容範囲は、広がってきていると思うけれど、
マイノリティの人たちの声が、自然なこととして受け入れられる世の中になるには、まだまだ時間が必要だと思う。
物語は、次の3人を軸に展開していきます。
まずは、不登校になった小学4年生の息子をもつ検事。
彼からは、不登校という名のマイノリティになった息子を外から見つめる視線を感じました。
そして、兄の部屋にあったパソコンのAVの映像を見て、男性不信、男性を汚れたものと認識する女性。さらに彼女には隠された性癖があります。
マイノリティ当事者の独白が聞き取れます。
3人目は、自分の容姿に劣等感をもっていて、恋愛に臆病になっている女子大生。マジョリティ側ではあるけれど、深刻な悩みから自由に生きていけないものの声が聞こえます。
この3人を主人公として、そこから繋がる人間関係からマイノリティの心の叫びをえぐり出していく作品でした。
後半では、マイノリティ側の人間に、ある事件がおこります。
マジョリティ側の常識の中で、犯罪が位置づけされます。
マイノリティ側の人間にしか理解できない自分たちの性癖ゆえの理由を、わかってもらえるはずがないと諦めて、無実を受け入れます。
水の形態に性的興奮を感じる。
ということを理解できる人は、やはりほんのわずかであるか、当事者以外には無理かもしれない。
自分たちを理解してもらうことを、頭から諦めてしまうのは当然のなりゆきなのか。
それほど異質な性癖をもってしまった場合、マジョリティ側の認識が必要であると思う。
そのような事例を多くの人が知ることによって、一般化して受け入れられるようになると思う。
このことをカミングアウトするには、よほどの勇気と覚悟が必要です。
白眼視されることを前提に告白をするか、ひたすら耐え続けて生涯を過ごすか。どちらもいばらの道です。
ほんの20~30年ほど前には、LGBTQの人たちを、珍しいものでも見るように扱う傾向があったことは、否めないと思います。
でもここ最近、マジョリティ側の人間もマイノリティ側の人間を以前よりは認識するようになってきたし、その存在に偏見をもつ視線も確実に薄れてきていると思う。
現代では、多様性の言葉とともにマイノリティも、かなり認められるようになってきているし、世間一般の目もそういう性癖があるということが理解されてきつつあるように思う。
現に自分も、カミングアウトした芸能人や有名人を普通の視線で捉えている。以前とは比べようもないぐらいに、風通しのいい世の中に進んでいるとは思うのだけど。
世間が、そういった感情を持つ人がいることを、認識することから始まっていくのではないだろうか。
LGBTQの人たちを偏見の目で見ていた社会より、そんな感情を取り払った世界で生きているほうが、マジョリティ側の人間にも生きやすいはず。
今回は、小説という手段でマイノリティの実態がアナウンスされたと思うのです。
こういった活動を続けていくことによって、マイノリティへの認識が一般化していき、マジョリティ側やマイノリティ側などの区分を払いのけて、暮らしやすい世の中になっていくのではないだろうか。
小説や映画などいろいろな手段を利用して、マイノリティについて問題提起していくことで、マジョリティ側の理解を促すことができる。
何十年後かには、マイノリティが問題視されていたことも忘れ去られていればいいな。
マイノリティ側の人間でないものが意見するのは、あってはならないことだし、ましてや上から目線になることは許されない。
けれど、いろいろな手段を使って応援することは、認めてもらえるのではないかと思うのですが。
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